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カテゴリ:自分を見つめる
ワークが出来ないことについてさらに掘り下げ、れるか?
出来ない理由としては、自己卑下と怒りと諦めと逃避と憎しみと絶望と。 それらに伴う色々な感情を感じない為の麻痺と。 じゃあその根底にあるのは何だ? またぶち当たるのは、 「自分を認めろ」 という、根っ子からの要求がある。 自分を無視するな、自分はここにいる、自分はちゃんと意思を持っている、自分は自分だ。 誰かの都合のいい人形じゃない、私は私だ。 私を認めろ、私はここにいる。 認められないと一気に自己卑下にひっくり返る。 どうせ私は誰からも認められない、いることにも気づいてもらえない、私なんてどうでも良いんだ。 誰も私など必要しない、どうなっても良い、どうでも良い。 私なんてどうにでもなってしまえばいい。 全てを放棄してしまう。 それくらいしないと辛すぎて辛すぎて、壊れてしまう。 承認要求が強すぎて、どうしようもない。 自分で自分を認めればいい、と言うけれど、本当にそれが出来たら、こんな渦からはとっくに這い上がっている。 誰も自分を肯定してくれなければ、それは自分が間違っている、だからお前は駄目なんだ。 そう言う声が聞えて来て、自分で認めようとしても打ち消してしまう。 自己承認なんて、自己満足のみっともないことだ。 そんなことして自分を保ってバカみたいだし、意味がない。 そんな声が聞えて来て、弱くなる。 他人に認められないと、意味がない、生きている価値がない。 お前がおかしいお前がおかしいお前がおかしい。 おかしくない、と反論しても、上から打ち消される。 お前がおかしい、だから嫌われる、だから周りに人が居なくなる、だから孤立しておかしくなる、そんなお前は価値がない、お前なんかいなければ良かった、産まなければ良かった。 呪縛。 そんな事に何時までも囚われておかしい、って言われるが、でもそれで抜け出せるなら、苦労してないし、生きづらさも感じてない。 おかしい、の一言で終わるなら、完全に抜け出せるなら、リラに来てない。 抜け出せなくて、抜け出したくて、あがいているからこそ、やっているんだから。 だから、正論でねじ伏せようとするんじゃない。 そうやって、弱い声をねじ伏せて進めれば、全てが終わるわけじゃない。 逆にどんどんおかしくなっていくだけだ。 頭の中の理屈ではあっている、でも心の中は納得してない。 だから何を言っても無駄。 それを本当に分かってないと、何をしてもつぼを押さえていてもおかしくなる。 本当に分かってますか? 承認依存。 そう言われる感じだけど、でもこの根っこの要求が満たされない限り、先に進まない感じもする。 認められなきゃ、言えない。 でも言わなきゃ認めるも何もない。 そこんところでグルグルしてる。 抜けたいが、抜け出せない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.07.05 22:46:17
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