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カテゴリ:自分を見つめる
仕事で注意された事をとりあえず「やります」と答えていた。
観念半分とそれ以外に言ったら今はまずいよな、という取り繕い半分と。 今は自己卑下とかやる気があるなしも特になくて、ただ単に打算とか思考とか取りあえず繕っておけ、みたいな感じでいる。 ほかの事を言ったら面倒だな、と言う感じの思考。 従順な答え以外を受けつけない感じの問いかけ、のため余計に取り繕った感じ。 面倒な嫌なことは、取りあえず避けておこうかな、と言う感じだった。 麻痺、に近い感じ。 そのうえで良い子を取り繕って見せていた。 観念の方は仕方ないから、本腰入れるか、やだなぁ、と言う感情。 面倒と言うのが近いかもしれない。 こちらは無気力自己卑下の感覚に近いというか、プライドの方に似てる感じ。 最近気付いたが、絶対的に正しい、と思っている人に対して、正論に対して、心を閉ざして表面上はそれに合わせて取り繕う、と言う癖がある。 正論が好きな人格がいるので、それを表に出して裏で「出来ねーよ」と悪態をつく。 そしてその正論好きの足を引っ張る。 正面向かって反論しない。 しても撃破されるだけだから、気持ちをくんでくれないから、とどんどん悪い方へ転がる。 結果自分をどんどん貶めていく。 そうして悪い方へと向かって、自分の気持ちを強引に伝えていく。 それこそ底なしに堕ちていく。 いや、そっちじゃなくてさ。 分かってくれなくても伝える方を頑張らないと。 でも、どうせ甘えてるとか馬鹿だとか、下らないとかいって、気持ちを踏みにじって終わるだけだから、私の気持ちをつき通すためには手段を選ばないだけだよ。 そうでもしないと誰も私の気持ちや存在なんて、虫けらがごとく無視するんだから。 毎度ぶつかる、自分を認めさせたい、という気持ち。 自己存在意義の喪失による反動。 これは一体どこをどうやって埋めていけばいいのだろう。 ここからは自力で動けない。 埋めたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.07.13 22:41:51
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