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カテゴリ:自分を見つめる
難しい。
意外に怒ることが難しいと思う。 過去、本来なら自分の誇りの為にも怒るべき所を怒り直す、ってのが難しい。 だってどーしても、そっちのながされて泣き寝入ったほうへ、感情がながされるもん。 どうしても抑圧がかかるし。 一時期些細なことに対して一々怒っていた時期があって、怒ると結局人間関係とか壊れたり、怒る方が悪いとか言われて、哀しかったり悔しかったりした事も結構ある。 それが嫌になって、怒らないようにして居た事も結構ある。 もちろんそんな抑制なんて全然聞かずに、感情的に爆発してた事も沢山ある。 怒ると言葉が拙くなって、バカにされたまま言い負けることがたびたび起きて、悔しかったりして、勝てない限りは怒りをぶつけなくなった事もあったりして。 また怒ることに関してあまりやっぱりいい感じがしない事も結構あって、抑圧する。 何でもかんでも感情的に怒ればいいってもんじゃない、って分かってるけど、怒ることと感情的な事がワンセットになっていて、暴走するから、余計に人に向けて怒ることが怖かった時期もある。 それと正当な怒り以外はみっともない、価値が無い、と言う価値観も何故かある。 なんだこれ。 つらづら、って書いてみたけど、どう見ても、怒りシステム、狂ってるよ、私。 キチンと怒れないから、プライドの怒りが出てた気がするな、こうやって書いてみると。 抑圧と暴発を繰り返しているから、余計に変なところで怒れず、変なところで噴き出してる。 そりゃ、人間関係壊れるわ。 怒ることが子供っぽかったり、みっともなかったり、下らなかったり、侮蔑することだったりする。 本当なら、あくまで「感情的に」と言う範囲内なんだけど、怒り全部を否定してる。 そうだ。 だから最初、伊藤先生の本で、リラで、怒り人格が上等なまともな人格と言うことにびっくりしたんだ。 びっくりすると同時に、抑圧することを強要した奴らが、やっぱりお前らの方がおかしいんだ、とも思った。 でも、だからと言って、いきなりまともにはならない。 抑圧の自動的なサイクルからは、解放できない。 改めてそのことにびっくりする。 怒れない。 怒っている事もある、でも怒れない事も結構ある感じがする。 悲しいとか、自己卑下とか、なんかその辺りに沈んで怒れてない事もある気がする。 いや、それよりも、怒らない人が人として優れている人、っていう刷り込みがある。 なんだ、これ。 感情的に訳も分からず支離滅裂にわめく人をみて、さすがに人としてすぐれてるとは思わんけど、いつでも八つ当たりしてイライラしている人もさ、違うと思うけど。 でもいつでもニコニコが優れてるってのは違うよな。 何でも許すことが、いいことだとは思わないのも一緒だしな。 あ、これに関しては痛い目に遭ってんだよ、私。 だから前からなんか違うよな、ってのはあったけど。 でも。 この価値観ってなんだよ、意味無いじゃん。 怒る=私の事が嫌い、ってのもある。 好きだから怒る、ってのを分かってないところもある。 怒ることについて、変な価値観が、ワサワサ出てくる。 何だよー、これ、本当にマジで。 人格それぞれが抱えてる、怒りに対するマイナスイメージが強くて、訳分からん。 取りあえずメモが気兼ねて、書いておく。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.08.21 22:44:58
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