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カテゴリ:自分を見つめる
昨日、マイミクさんの記事のリンク先で、人は自ら傷つくことを選択している、という話を読んだ。
リンク先をチェックしてなかったので、リンクできないけど。 その中の話題で、エステでピリピリと痛みがある方が効いていると感じて、満足度が高い、という話題があった。 それに絡めて、人は何かをしている時の方が、充実感があるという話でした。 その話を読んで、今の状況が落ち着かないのは、何かに振り回されてないと、何かにガッツリ向き合ってないと、四六時中その課題が目の前にちらちらしてないと、やっている気にならないんだな、ってことだと気付いた。 だから普通に穏やかだったとしても、本来はそれでいいはずなのに落ち着かないのかな、と思った。 もちろん私の場合は、ただの麻痺で感じないという感覚があって、余計に落ちつかないのです。 そういえば、人格統合の本にも会ったけど、どうしても動かない時はじっと我慢ってあったので、無理に動こうとしてしまう。 更に動けない自分を責めて、自家中毒を起こしているのだな、と思った。 動かない=何もしない、取り組みをしない、って訳では無くて、動かないのが取り組みの時もあるのかもしれない。 動かないの質にもよるのかな、と思う。 結局、何がどう違うのかな、とか判断に毎度困る。 多角的視野も、考慮も出来ないから、まだまだ教えてもらわなくては、右も左も分からないから、どう仕様も無くて、そんな自分が歯がゆくて、でもここからしか進むしかなくて、妙な気分にもなる。 そしてグルグル考え過ぎる。 そういえば、私の中の自己卑下は、自分が頑張って出来ることが怖いと思っている節がある。 出来る自分というのを認めたくない、という感じがした、今日。 認めると存在意義がなくなる、というような。 逃げ場がなくなるのが怖いのかな。 なんだろうな、これ。 自己卑下は本当は辞めたいと思いながら、自己卑下にアイデンティティを依存してるのか。 本当にこの矛盾しきったものって何だろうな。 自己卑下以外に何か存在意義があれば、手放せるのかな。 それってなんかな? まだよく分かって無い。 なので一緒にそこんところを下げていきたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.01.13 22:26:07
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