カテゴリ:コザル物語/小学校通信
いじめで酷い目にあっている子中学2年生
不登校 「大丈夫?今の気持ちを聞かせてほしいの」 しかしその中学生は晴れやかに澄んだ声で 「別に、、、」 留年寸前不登校児高校1年生 「あなたの出席日数でこのまま行くと、留年しちゃうの、どうする、」 しかしその高校生は柔和な顔で澄んだ声で 「びみょう、、」 『別に』『微妙、、』あと、「普通」あるそうだ 思春期 壁をつくり大人から自分を守る時代 心配してのこちらの問いかけに、いぶかしげに或いは感じ悪く応対するものであ しかしそうではない。 悪意を感じられない 今時子供は喜怒哀楽を出さない傾向があるようだ。 いやな目にあったり、されたりすると 例えば足を踏まれた、 「いたたた、、」 ちょっと悲しく、なんでぇ~ いやなこと →哀 そして、まだ踏まれていたとしたら (解消されないと) →怒 「あの!私の足踏んでるんですけど!!」 「悲しくなっちゃう」弱い感情から 「怒る」強いネガティブな感情し変わっていくのが順序 怒りとは 自分を守るための感情でもあるのだ しかし今時 文句いったら、ブスッと刺されるかもしれない そこで怒りを抑圧 「私が、ここにいたからいけないんだ、私がわるいんだ、、」 この状態が続くと鬱になる。 怒りと哀は表裏一体なのである。 そして今時子供は、 哀→怒 になりそうなとき なにか操作をするのではないか? 感情に蓋をしてしまうのでは 正しい感情移動手順を踏もうとされるとき 弱みを言ったら余計いじめられる等の理由で 不自然にコントロールしているのではないだろうか。 しかし、やはりそれは不自然であるので 「微妙」「別に」となにか もやもやしているのではないか。 もやもや→いらいら→引きこもり→自傷行為、、 自傷行為、、ダイレクトに自殺に繋がる なんか、自分がこれでいいのかな なんか自分の確認がほしい 自然な感情プロセスを飛ばして 葛藤を持たない、 葛藤を持たないと 成長がない、乗り越えられない。 (子どもが小さすぎると葛藤を持つCAPAは持っていない) ちょっと自分の本質を見る どういう気持ちか言語化する 自分の気持ちに名前うつける 自分の気持ちに 正面から向き合い分析して 言語にすることで はじめて人に言うことができる。 親(おとな)は、それを引き出す手伝い を、してあげる。 共感して支えてくれたら 救われる。 「とにかく聞いてもらいたい。」 という感情は、大人でもしばしば持つものである。 まず、共感してあげる。 それが即解決になるのではないが それができなければ 問題解決に向けてのスタートさえできないのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.01.28 07:55:31
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