|
カテゴリ:カテゴリ未分類
最近交通(特に航空・鉄道)の安全性について問題になることが多いようです。鉄道車両がビルに突っ込む(今年に入って2回目…四国のほうでもありましたな)なんていうことは本来考えられないことなわけです。
しかし、考えられないことが起こるって言うのには原因があるわけです。思えば、お金がそこそこある状態から急に「お金が足りない」と恒久的に悩む状況に陥るのは戦後の日本にとっては初めての経験かもしれません。実は、ここに鍵が隠されているのではないでしょうか。 今まで、安全というのは無意識のうちにお金で買っていた。景気がいいときはそれでよかった。無意識というのは、儲かるお金のほうが安全に対する支払いよりも多かったのでそんなに気にすることがなかったということですな。しかも、コスト削減をそれほど(まったくとは言いません)意識しなくてよかった。 しかし、お金が儲からなくなれば「聖域はない」という言葉の元、安全対策に対するお金も削られてしまう。考えてみれば、一番お金を削りたいところなのです。安全に対してお金を使っても、何のメリットもない。広告宣伝にもならないし、新たな付加価値を生み出すわけでもない。そういう視点で見ると、安全対策というのは後回しにされるのです。それでちょっと前に問題になったのは、三菱自動車グループ(これもまた乗り物だ)のリコール隠し。これらのことの根幹は一緒で、「儲けが減った」というところなんでしょう。 「儲けが何だ」という声をニュースでも聞きますが、それは間違いです。企業は金を儲けるために存在する。それはそれで真理です。ただ、儲けるための土台を揺るがしてしまっては儲けられない…そのことに気づくのは、その土台がぐらぐらになってからだということです。 この問題を考える上で、「儲けとは何か」「コストとは何か」ということについて再考する必要があります。行き過ぎたコスト削減といいますが、確かに安全に対してコスト削減はどうかという話がある。では、赤字になって会社が倒産するようなことがあってもいいのか?ということになるとなかなか難しい。 この15年、日本は停滞したのではなく衰退した。その結果がこれなのではないか。価格が安ければいいというのは本当にそうなのか。このままいくと英国病の二の舞になりそうである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|
|