カテゴリ:自由への道
最近ようやく?楽しい習慣になってきた瞑想をしようとすると、2階の自室から何かが呼んでいる気がして、上に上がってみると以前F氏に作ってもらったワンドに引き寄せられた。常に身近に置いていたものの、数年手に取ることはなかった。
(自分に還りたいな・・・)ふと、なんの脈絡もなくそんな思考がよぎった。 ここに座って!と語りかけてくる場所に腰を下ろす。 自らを観るためのサポートとして、手に取ったワンドから息遣いを感じた。 数年前にはなかった感覚だった。 胸が熱くなる。切ないような、泣きだしたい想いが溢れだす。 「やっと、会えたね」 そんな声が聞こえたような気がした。 自らを道具として生きる者は、物を物質としてしか見れないので、その本質(いのち)を観ることが難しい。よってその物の本質的な恩恵を受け取りにくい。 「我は神なり、神は我なり」として生きる者は、どんな物を手にとっても、そのいのちに出会い、触れることができるのだろうと思う。 正直、現在の自分がその意識まで高まったとは到底言えないが、少なくともある日を境に、自律を目指して歩いてきた。現在でもその道程ではあるが、「自律」を目指して歩くことは、そう決めたその瞬間からそうなのであり、それは幾度も「我は神なり、神は我なり」に気付き続けながら生きることなのではないかと感じている。 どんなパワーグッズやエネルギーグッズも、それを使う者の意識に応じたエネルギー、働きしか受け取ることが出来ない。 まずは、自らを観ること、感じること、知ることの重要性と楽しさを再確認することが出来た。 ありがとうございます 愛しています 千夏 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
July 13, 2010 02:27:23 AM
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