カテゴリ:自由への道
わたしは人生のそれぞれの段階を完全に受け入れ、じゅうぶんに生きてゆく。
困難な状況は解放への喜びへといたる橋を築き、やがて心の平安をもたらしてくれる。 わたしはあらゆある瞬間を歓迎し、つねに信念を保とう。 この川の向こう岸には、かならず光があることを知っているから。 光のメッセージカードより 私のIC(インナーチャイルド)は、いつも脅えがちでうずくまりながら震えていました。暗くて寒くて、そばに誰がいるのか、何があるのかわかりませんでした。 それがもっと恐怖をよび、すくみあがり、身も心も堅くしました。 当の私は笑顔を作りながら、優しさや労わりを外に向けるのに忙しかったものです。 それがどれだけ、自分に無理を強いているのか・・・今思えばなんとハタ迷惑なことだったのかを気がづくことなく文字通り「頑張って」いたように思います。 しかし、私はそれ以外の方法を知りませんでした。 いえ、知ろうとしなかったし、知ってはいけませんでした。 自分が喉から手が出るほど欲しいものを、自分が得ることを、とうにあきらめていたのですから。 幼い日・・・あれはいつだったでしょうか・・・たしか小学校2年生ぐらいのときでしょうか。 「私が愛されることは、今後一生ないだろう。私は一生愛されないかもしれないけれど、せめて私が(もし愛されたていたとしたらして欲しいこと)を他人にしてあげよう。」 そんな悲壮な決意を唐突にした瞬間をはっきりと覚えています。 なぜそう思ったのかは覚えていませんが、当時の私の環境からすれば、自分が自分の心を救うために、生き延びるために幼い私がそう決意したのも無理からぬことだったのでしょう。 私は「駄目人間」という人生脚本を、見事なほど着実に生き演じていました。 そして、より「駄目人間」になるべく(まぁ、そんな人間はいないし幻想なのですがね) 自分が自分を「駄目人間」だと「信じることが出来るように」様々な環境、状況、人々を引き寄せては、命がけで演じていたのです。←(本人は演じているのなんて思っていません) 願えば叶う(顕在意識では願ってないけれど)思考は現実化するって、本当です^^; そうすることで、あぁ、「私はやっぱり駄目人間」だという「証拠」をスタンプ集めしてきました。人生脚本は10歳前後でその土台が出来上がるといいます。 私は親に認め、愛されるための「脚本」の土台をより強固にしようと必死だったのかもしれません。もちろん、無意識にです。 「駄目人間」という脚本は、常に自分自身を最低に置くことによって、親を救おうとするためのものでした。 私が駄目人間であれば、常に親は私を心配し続けることができます →自分自身の存在不安と向き合わなくてすみます。そして、子供と一生関わり続けることができます。 私が駄目人間であれば、常に親は私に怒りを吐き出すことができるでしょう →長年溜まっている感情を吐き出し生き延びることが出来ます 私が駄目であればあるほど、自分の方がましだと思えるでしょう →孤独感がほんの少しだけ薄れます 他にもまだありますが、ざっとこんな感じでしょうか。 救いというのも、無限の段階があるものですが、親の無意識の望みを、幼い私に出来る方法で精一杯やろうとしていました。 当時の私の選択は「地の底に棲み、踏みつけられながら支えてゆくというものでした。」 恐ろしいのは、その選択に気づかぬまま「一生の選択」になってしまうということです。 しかし、自分でした選択は自分で変えることが出来るのです。 そして、今私は幼い日にしたあの選択を後悔はしていません。 それは素晴らしい体験だったのです。 それは現在の私を支えてくれるのです。 過去が私に微笑みかけてきます。 私はその微笑みに 満面の笑顔で応えハグします。 ありがとうございます 愛しています 千夏 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
July 15, 2010 10:38:02 AM
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