テーマ:ホスピスでのケアー(6)
カテゴリ:思い出
一週間前も曇り空で、桜の蕾も膨らんできていました
そして、一週間後の今日 枝垂桜は、三分咲きになってきました 良く通る道の山桜は満開を迎えていました ソメイヨシノは急に開花が進んで五分咲きです **************************************************** 昨年の、桜が咲きだす少し前の頃 夫がもう自分の力で歩くことができなくて 大好きな桜の花を、自力では見に行けないと思って 車いすのレンタルを頼みました 桜が満開の道を、車いすをゆっくりと押しながら 夫とお散歩しようと思っていたのです でも、その車いすを使うことはありませんでした 普通の癌のスピードでは 、十分にそのような時間が持てるはずで 私も、そのくらいの時間は残されていると思っていたのですが・・・ 夫は、コロナ感染対策で私がつき添うことができないので 病院へ入院したら、 独りぼっちになる 一人で死に行くのは耐えられないので嫌だ! そういって、終末医療は自宅看護を選択しました でも、急に体力がなくなり自力で立てなくなったと思ったら 5日後には、 ベッドの上で起き上がることもできなくなり 痛いや辛いという症状は具体的に出ていないのですが 6時間おきぐらいに、激痛に襲われるようになりました 自宅看護だと、入院中のように 急激な体調変化があっても、看護師さんやお医者さんは駆けつけてくれません こればかりは経験しないとわからないことでした 夫は、自分の病状が恐ろしいスピードで悪化していていることに、とても強い恐怖を覚えることになったのです 夫の癌は、とても稀な癌で増殖スピードが普通の癌の10倍以上の速さで放射線も抗がん剤も聴かない性質のものでした 一年に一度のpet検査で異常がわかるという超早期の発見であったのに 一か月後の手術の時には肉眼でわかるほどの大きさになり、手術で取り切れたにもかかわらず、半年後、首のリンパと肺に転移していることがわかり、その半年後に夫の命を奪うことになりました 大学病院の先生方も、知識としてご存知なだけで 実際に患者として担当されたことは、どの科の先生もいらっしゃいませんでした 夫も、主治医・担当医の先生たちも、 この恐ろしいスピードについて行けず何事も後手後手に回ることになったのです そんな中で、自宅で旅立つことを選んだ夫でしたが この病気と一人で向き合うことは、怖くてできないというので ちょうど一年前の今日、緩和ケアの主治医に連絡を取って、ホスピスへ入院したい旨の相談へ行きました 相談の結果、私も一緒に病室から出ないことを条件(一緒に入院して病院から出られない)で、付き添うことも認めてもらえました 他にも、夫はすでに声も出なくなっていたので、夫との意思疎通には私の存在が不可欠であったことも付き添えた理由の一つです ホスピスへ私と行けるという結果を伝えると、夫は涙を流して喜んで 私の手を力いっぱい握ってくれました それから数日後に、ホスピスへ向かうのですが もう、 体を起こす力もなくなっていたのでストレッチャーに乗せて民間救急車で、病院のホスピスへ向かったのです その時に、それは見事な桜街道を通った時 、 桜が五分咲きで・・・ 付き添いの看護師さんが『桜が窓から見えますか?』 と聞いてくださって、夫はニッコリとほほ笑んで瞬きして答えていました この美しい季節の咲き始めた桜のトンネルを抜けてホスピスへ行けた事 毎年、 この地に住んでいてよかったね、と言って桜を愛でていた夫に その桜たちが見送ってくれたのだと思います そして今、ちょうど一年前の、五分咲きの桜と、同じ景色を見ています そうです 一年たったのですね・・・ 今日もご訪問をありがとうございました<m(__)m> 今日も、応援のポチっと 宜しくお願いします(*- -)(*_ _)ペコリ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.03.23 21:32:56
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