テーマ:思い出(22)
カテゴリ:史跡
グーグルレンズで検索したら河津桜と出て来たので 多分、河津桜で良いと思いますけれど… 春色の青空を背景に綺麗に咲いていました そして、堀川の北大路下る(南)に島津製作所があって その隣に、ひっそりと紫式部のお墓があります 平安時代のお墓は現代の物と違って こんもりと土を盛り上げてその上に四角い墓石が置いてあります そして、紫式部のお墓の横には 小野篁(おののたかむら)のお墓があって 歴史に弱い私は、夫に「紫式部のご主人なの?」と聞いて苦笑いをされた思い出があります 紫式部は973~1013年ごろ(が有力)に生きた人で 小野篁は802~852年で あの有名なあの世とこの世を行き来していて閻魔様に使えていたと言われている方です では、なぜお墓が寄り添うようにあるのでしょうね… それは、今でも謎で諸説あるらしいです (左が紫式部、右が小野篁のお墓) 紫式部はドラマでも登場している藤原宣孝と結婚しますが3年で死別されて その後宮中に上がって「源氏物語」を執筆されたそうです 文学に時間を割かれて、再婚はされなかったみたいですね この頃も今も変わりなく、きっと死別は辛かったに違いないと思います その辛さがあったから、大作が書けたのではないかな、と私は思っています 死別された時の歌があって、 「あの人が荼毘に付されて煙になった夕べから、その名に親しみを覚える塩釜の浦です」 当時から、荼毘されていたのですね… そして、この別れの一年後から『源氏物語」の執筆を始めたそうです やはり死別の哀しみは深く、私たちと何ら変わりがなかったと思います その悲しみのエネルギーが大作を作った…ということでしょうか 私も今のこの辛さを糧にできる時が来るのでしょうか いえ、したいと思います もう、何年も前から構想を練っていたことがあって NPO法人を立ち上げたいと思っているので これから形を作って行こうと思います 夫と結婚して間もなくのお散歩のときに立ち寄った紫式部のお墓 今日、近くまで来たのでまた立ち寄ってみました 始まりと終わりに、たまたま訪れることになったご縁で 私もこれから何かを成し遂げることができれば…と思います そんな、春の一日でした 今日もお読みくださってありがとうございました(*- -)(*_ _)ペコリ 今日も読んだよ~~~とポチっとして頂ければ嬉しいです ⇩ フォローはこちらから宜しくお願いします ⇩ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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