秋晴れの日曜日
お洗濯をするのに最適な日だから、衣替えもして…と張り切って早起きして
ピローカバーやシーツなどを洗い始めて、二度目の洗濯の準備を始めましたが…
もう着ることのない夏用のカットソーやブラウスで洗濯されていない物を集めて
秋冬用の物を取り出そうとしたのですけれど…
夫の物は何一つ捨てていないので、一度も着られていない夏物を秋冬用に入れ替えるのですけれど
夫の服を前にボンヤリとしてしまい
気が付けば一時間が過ぎてしまっていました…
こんな時思うのです
死別直後からの心の痛みや喪失感は、何にも変わっていないのではないかな…と
二年と少しくらいで、夫の物を平気で見る事なんてできないんだな、って
季節が変わるたびに、この事を確認するように衣替えをしていて
今回もまだまだなんだな、と確認して…やはり手が止まって哀しくなって
いつまでも、この作業を繰り返しながら生きて行くんだな…
これが私の生きている証になるのかな、そう思いました
整理整頓が嫌いでもないのに、この二年半できないままでいて
片づけをしないといけないという焦燥感と
夫がいた時のままにしておきたいという気持ちが、ぶつかり合って四六時中力が入っていて…
何もしていないのに、疲れてしまって また何もできない…の繰り返しなのです
いつになれば、スッキリと気持ちの良い環境にすることができるのでしょうか…ね
死別という想像を超える心のダメージが
生きる為の当たり前のルーティーンを狂わせてしまって
以前のような日常生活ができなくなりました
このブログで、毎日の暮らしと心の変化を忘れないように記録しておいて良かったと思います
死別して初めての秋は、季節の移ろいに必死で捕まって生きていたように思います
あえて独りの哀しさや辛さに触れることも少なかったのは、本能的に目を逸らせていたのでしょう…
そうすることで少しでも辛さを和らげようとする、自己防衛本能だったのかもしれません
あまり甘いものを買わなかったのに、ケーキや和菓子を頻繁に買って
そういう事を日常に加えることで、哀しみを和らげようとしていたのでしょうかね
それから2年経った今、その頃のブログを見て
あまりの健気さに胸が締め付けられるようになります
私という人の強さを見たような、そんな気がします
何もしていないように見えるけれど、強風に飛ばされないように
必死で踏ん張っていて…
本当に、毎日毎日を精一杯 生きていたんだな…
いつか、夫と暮らしていたこの家の中を整理しないといけない時が必ず来ます
その時が来て、バタバタとしないように少しずつ片付けたいと思うのですけれど
その日は、、、いつかな…
ほんと、しないと自己嫌悪が雪だるまのように
だんだんと大きくなって行きます…
明日こそ、少しだけでも頑張ろう…と
今日も読んだよ、と
ポチっとして頂ければ嬉しいです
⇩