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映画「うまれる」の取材で、またまた素敵なお産に立ち会いました。
今回、2500グラムのかわいい女の子を授かったのは、お二人とも小学校の先生である樋口さんご夫婦。 7月7日が予定日で、可能であれば助産院で生む、ということだったのですが、おなかの中が気持ちよかったのか、なかなか出てこず、いよいよ、明日まで陣痛がこなかったら、病院で陣痛促進剤を打ちましょう、というところまできていました。 3人目の赤ちゃんですが、助産院で産んでみたいという気持ちが強かったので、私たちも毎日携帯でやりとりをして、まだかまだか、いやいや焦らず。。と思いながら待っていました! そして、助産院での出産最終リミットの7月14日。 夜遅くに、突然陣痛が。 「やったねーーー!すぐとんでいきまーす」 ということで、すぐ出発。 草加の助産院に行ってきました。 この絵里子さん。 くったくのない笑顔の、さばさばした、きっと生徒さんたちに愛されてるんだろうなぁ、と思わせるような、気持ちのすかっとした先生なのですが、実は、寂しさから、独り天井を見上げる幼少期をすごし、かなり荒れたギザギザハートな思春期を経験している女性なのです。 妹さんが産まれた3歳くらいのときから、親の愛情が全て妹に注がれてしまい、寂しい日々が開始。 幼稚園に入園した4歳頃から 「私はなぜ生まれてきたのだろうか」 「もとちっちゃな頃に、もどれないかなぁ。。。」 「本当に、必要とされてきているの?」 と思いはじめ、夜中の暗い天井を見上げていたことを覚えています。 お母さんの期待にこたえようとがんばっていた必死な毎日。 何か見せたかったり話したかったりしても、妹の育児に必死でなかなか相手にしてもらえないお母さんに対して「私はバカな子なんだ」と自分を言い聞かせ、いつも気持ちをおさえてきていたそうです。 その頃から笑顔は消えました。 小学校高学年から、20歳まではとってもあれていた時期。 お母さんがつくってくれたご飯も「まずい」といって目の前で捨てるような生活。 学校では成績もよく、いい子だったものの、実は裏では。。。。(ピーーーーっ)。悪い遊びもいろいろやっていたそうです(笑)。 ところが、大学1年生の20歳のとき。 はじめて、「今までずーーーっと寂しかったんだ。。」ということを話すことのできる友達ができたのだが、そのうちの一人がバイクの事故で急死。その後、もう一人の親友も、子どもができて休学してしまった。 自分の寂しさを初めて言えた友人が急に2人ともいなくなり、ふと一人ぼっちになったとき、もう寂しさは全部はきだした、それでも私は生きていて、こうして学校に通っている。なぜか、もう、誰かに自分の寂しさを言わなくても生きていける、という気持ちになれて、そのときから、やっと笑えるようになったんだそうです。 思春期は荒れながらも、いつかまじめに生きたい、という気持ちがあって選んだ教育学部。 学校の先生のになれた時は、このために今までのつらい思いや寂しい思いがあったんだと思い、「心に問題のある子を助けよう!」と使命感に燃えていたそうです。とにかく、仕事に使命感を感じていたし、自分は子どもを愛する自信がないので、結婚や出産はしない、と思っていたそうです。 ところが、心から「笑っている」だんなさんと出会って、考えは一変。 こんなに素直に生きている人はいない、と思い、あっという間に結婚まで進んだそうです。 そして、5年前、一人目の娘さんを生んだ瞬間、 「私はこのために生まれてきたんだ。」 「この子は私を必要としている。」 と、初めて、何ともいえない、家族の幸福感に満たされたのです。 人に必要とされていると実感することって、こんなにも幸せなんだと初めて感じた瞬間。 子どもを生んだおかげで、子を育てる親の大変さも身に染みてわかり、30歳目前にしてようやく「生んでくれてありがとう」と心から思えるようになったそうです。 そして、そして、3人目の出産当日。 やはり初産の妊婦さんとは違います。 出産の様子は続編で。 (プロデューサー:牛山) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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