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カテゴリ:う~の
ただただ聴く。これが難しい。何せ喋りたがりの私、ほっといても一人で1時間くらい話し続ける人間が、誰かの「これこれこういうことで困ってる」と聞けば、「そういう時は・・・」と言いたくなってしまう。
う~のの話にも、以前はアドバイスばかりしていた。今は、少なくはなったと思うけど、やっぱりつい出てしまう。アドバイスのつもりがなくても、ずっと「そうかあ」「そうなんやね」ばかりが続くと、判で押したようになって、適当に言ってるように聞こえないか?だから違う反応を(私自身が)探してしまう。 結果、う~のがしんどくなる。 「一人で抱えないで、人に話した方がいいって、周りや、お母さんが言うから頑張って話すようにしてるけど、話したくなくても、話す方がいいのかなあ」 話したくなくても、というのは、元々ネガティブな話を人にしたくないというう~ののポリシー?もあるし、お母さんに話すと聞きたくもないアドバイスを聞かされるので本当は話したくないんだけど、という意味もある。 う~のが話そうと思えば話したらいいし、話したくなければ話さなくていい。 相槌のバリエーションを増やせばいいのか?そういう問題じゃないな。 そうかあ、そうなんやね、ふーん、それはしんどかったね、よく頑張ったね、すごいね、ほう、ああ、へえ、ふんふん、などあるけど、全部使ってもすぐに全てヘビロテになる。「これ言うの何回目?」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ここからは、間違っている部分もあると思いつつ書くんだけど。 人に話すって、相手になにかしらの反応を求めているんだと思う。無反応でいいなら、ぬいぐるみに話しかければいい。 ということは、話される側は、反応した方がいいんじゃない?いい反応、そうじゃない反応、どっちの可能性もある。いつも自分の望む反応が得られるとは限らない。話をするときには、そこをわかっておかないと、予想外の反応があった時にひどく落ち込むことになる。で、予想外の反応に遭遇した時の処理能力はある程度必要だと思う。 聞く側は、聞けば反応したくなるのが自然だろうな。何を話されても同じ反応っていうのは機械的で、相手の話をちゃんと聞いてないのと同じことにならないか?だったら、上に書いた、「そうかあ、そうなんやね、ふーん、それはしんどかったね、よく頑張ったね、すごいね、ほう、ああ、へえ、ふんふん」を録音して、ランダム再生すればいい。 それをすると、聞くのは自分でなくてもいいやん、ってことになる。だから反応にバリエーションをつけたくなる。聞いて、反応しているのは「私」だという主張かも。 いい反応のバリエーションがたくさんあればいいんだけど。 例えば、嫌な上司がいてね、という話を1時間きいて、否定も批判もせず、アドバイスでもない反応を求められても、私にはできない。 心を込めて、100通りの「そうかあ」が言えるようにならないといけないのか?厳しいー。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
May 7, 2024 06:36:56 PM
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