我が家の迎春準備
クリスマスがすぎると、とたんに慌しい気分になる。とはいっても、小さな子供が1人と夫と私。都会で賃貸マンション住まいの我が家では大掃除にしても普段とあまり変わらない程度だし、年末年始は両実家をわたりあるくため年越しそばやおせち料理といった特別な料理の準備も必要ないし、考えてみたらけっこう味気ない。何が慌しいかって、ほとんど手つかずだった年賀状書きか帰省のための荷づくりくらい?狭い我が家ではあるが、なんとなく楽しい気分を盛り上げるため、あちこちに飾っておいたクリスマスのデコレーションがその時をすぎると急にみすぼらしく寂しげに見える。早くはずさなくちゃ。ちょっと焦ったりする。今年の年越しは夫の実家でということになったので本日、私の実家へ年末の挨拶がてらみんなで遊びにいった。子供の頃から慣れ親しんだ私の生家の住人は今、父と母の二人だけ。それでも母は、私が子供の頃に見たそのままの姿で台所の床に野菜や保存食を山積みにし、テーブルには磨き上げたお屠蘇セットを準備、部屋のいたるところに鏡餅。玄関には、当然しめ飾り。とにかく、くるくると動き回って、迎春準備に追われていた。大晦日がもっと近くなると、台所はかつおや昆布の出し汁を炊く匂いでいっぱいになり、せっせと野菜の飾り切りをすることだろう。三杯酢とか、筑前煮とか田作りとか昆布巻きとか。母はいったいいつから、毎年相も変わらずけっして子供好みではないおせち料理の数々を黙々と作り続けているのだろう。お正月にお店が開かなかった時代は、買いだめ作りだめが理にかなっていると思うが今は、そんな必要もないというのに。なんでも1人でさっさとやってしまうのが母の性分だ。手伝ってと言われないのをいいことに、そんな母を眺めながら、私はいつものんびりテレビを見ていた。だから、こんなぐーたらな娘ができあがってしまったのだと今更ながら納得する。しかし、今はこんな私でも小さな家庭を持ち小さな子供を持つ身。やっぱり子供の頃に見た、いかにもサザエさんの世界に出てくるような迎春準備の風景が恋しいし、いつかはきっと自分もと思う。母が黙ってそれを私の頭に植え付けたのだ。どんなに時代遅れで面倒なことであっても新しい年を、ちょっと襟を正し余裕を持って、ようこそと迎え入れられるよう。今の私にできる範囲から少しずつ努力していこう。ほんの気持ちだけ、実家から持ち帰った鏡餅を玄関の靴箱の上に…来年はもっともっと努力の年にしようと思う。