3歳の夏。
我が家の3歳は、この夏、ひとまわり大きくなった。9月の運動会に向けて、先週から午前中保育が始まっているがいよいよ明日が始園式、夏の思い出を胸に本格始動である。身長がついに100センチを超えた。95、97、99…届きそうでなかなか届かなかった。よく食べるので同齢の子供たちの中では割と大きいほうではあったがそんな彼もようやく1メートルデビュー。トイレに行くにも洗面所に行くにも、いちいち踏み台を使って電灯のスイッチを入れていたのだが、きのうふいに何を思ったか自ら踏み台を降りてチャレンジしてみたらしく「ついたぁ~」と歓喜の声。いつの間にか、ちょっとの背伸びでスイッチに手が届くようになっていたことがわかり、さっそくメジャーで身長測定。一気に105センチになっていた。3歳の夏。一番の記念はくるくる坊主頭にしたことかな。本人もすっかり気に入っている。母が用意した、いかにも昭和のこどもみたいな絣の浴衣が本当によく似合っていた。見聞がどんどん深まって、感情表現もいっそう豊かになり自分が今、どんな気持ちなのか、なぜそう思うのかなどを順序だてて、いろんな言葉をひっぱりだしてきて説明するのも、びっくりするくらいうまくなった。時々、相手が3歳のこどもであることをすっかり忘れてしまうほどいい話し相手になることがある。先日、こんなことがあった。まだ幼稚園は午前中保育で基本的にランチタイムはなしなのだが送迎の朝、どうしてもきょうは延長保育にして欲しいと言い張った。希望者は弁当を持たせて、一定の料金を支払えば夕方まで園で遊ばせることができる仕組みなのである。「でも、きょうはお弁当作ってないし、きょうは早く帰って お母さんと遊ぼうよ」となだめるが、仲良しの友達と遊ぶ約束をしたからとねばるので、仕方なく(それなら私も自分の時間が持てるし内心うれしくもあり)「じゃあ、お弁当作って、お昼に届けてあげる」と承諾。息子は自転車の後ろでバンザイのポーズ、大喜びだった。お昼、はりきって弁当を作り、園に向かう。「お弁当もってきたよ~」ところが、息子「やっぱり帰りたくなった。そのお弁当おうちで食べるぅ」と泣きわめく始末。なんだって?あんなに頼むからわざわざ持ってきたのに!どんなになだめても、帰るの一点ばり。これだから困る。やっぱり3歳は当てにならない。信頼できない!プンプンしながら仕方なく連れ帰った。家に戻って食べるのもしゃくなので、近所の公園でお弁当を広げる。約束したのになんで?と聞いてみたら「おかあさんの顔みたら、いきなり帰りたくなったんよ」と小声でいう。急いで作ったため、その日の弁当はサンドイッチ。いつもの弁当箱に入らないので、家にあった飾り気のない深型のタッパーに入れ、味気ない感じだったので蓋に黒の油性ペンで大きく、名前を書いてやり「おともだちとなかよくね。いっぱいたべてね」と書いてみた。それを読んだ息子。みるみる涙目になり、口をぎゅっとへの字に結んで涙をこらえている。「どうしたん?なんで泣いてるの?」「だってだって。せっかくおかあさんがこんなの書いてくれたのに ごめんなさい」「こんなの書いてくれて、うれしくて泣いているんよ」書いていて、なんだかものすごく美談だなぁと我ながら気づいた。でもけっして作り話ではなくもちろん自慢話でもなく、ただ単に、わずか3歳の子供が「うれしくて泣いた」と言ったことに胸がいっぱいになった。おそらくこれが一番の思い出。息子が大きくなっても、きっとずっと忘れない3歳の夏の思い出。