年末読書時間
かつての同僚で、現在ソウルで仕事をしている友人から久しぶりにいい本を読んだとメールをもらった。私より7つ年上の既婚男性。学生の頃から文学青年だった彼の読書歴は興味深く、仕事の息抜きに最近読んだ本について語り合う時間は有意義だった。好きな本を交換しあったこともある。当時の私は直木賞受賞前の宮部みゆきのミステリーを彼からもらったのはバールザッグの「大地」だったりして新鮮な読書体験ができたものだ。韓国でも日本の本はたやすく手に入るが忙しい毎日で、なかなか自国で話題の新刊などを手に入れる機会がないらしい。そんな折に彼はちょうどソウルを訪れることになった知人から土産は何がいいかときかれて、空港の売店で構わないので適当に売れてそうな本を数冊買ってきてほしいと頼んだそうである。その中の1冊に彼はものすごく心を動かされた。最初は軽い気持ちでページを繰っていたのだが読み進めるうちに、たまらなくなって泣いてしまったそうである。本を読んで涙するなんて初めてのことだったとそのメールには彼の高揚した気持ちが、久しぶりの読書で心を洗った清清しさが詰まっていた。私もその本を今すぐ読んでみたい。さっそく書店で手に入れたのだが、年末の慌しさでなかなかじっくりと読書する時間がとれなくてしばらく表紙だけを眺める日々。そうこうしているうちに、だんだんと本を開くのが怖いような、不安なような変な気持ちになってきた。果たして私の心は、この本をどうとらえるのだろう。帯には100万人が号泣などと書かれている。ネットで書評を見ても、感動の嵐。あぁ、単純な私は、間違いなく泣くであろう。でももしかして、全然響いてこなかったらどうしよう。今、本の世界に感情移入できる素直な心を持ち合わせているかどうか。心に余裕がない。自信がない気もする。時間を見つけて、ついに読了。ダメだった。泣くべきところが見つからなかった。登場人物の台詞ができすぎていてなにもかもが美談すぎて、悔しくなってしまう。美談を素直に喜べない自分も少し悲しくなった。かといって少しも無駄な読書をしたと思っていない。清い心の持ち主である友人に感謝。1年の終わりに読書の時間が持てて、本当にうれしい。