会いたいひとびと。
出会いと別れ。新しい春を迎えるたびに、ぼんやりと浮かんでは消える人々の顔がある。あのとき、サヨナラをした人のこと、また会おうといいながらなかなかその約束は叶えられずに、時間だけがすぎてゆく。2度と会えないわけではないからどこかで元気にやっているだろうから。だから、わざわざ約束をしない。距離もできて、環境も一変して、なかなかきっかけがないし。タイミングも難しいし。もしも、その人が重い病気にかかって、今日明日の命であることを風の噂で知ったとしたら、きっといてもたってもいられなくなってなりふりかまわず、会いにいくのだろう。そんなんじゃ遅いのに。2度と会えなくなるかも…という不安を抱えて再会を果たしたところでなんになるというのだろうか。ましてや、突然の訃報に慌てふためいて、黒い服で死に顔に会いにいくほど、無意味なことはない。古い友達や、昔の恋人や、過去の仕事仲間や、とてもお世話になった恩師や先輩たち。どこかで元気に、楽しげに暮らしていてください。そして、いつか、ばったり会えますように。神様どうか引き合わせてください。怠惰で不義理な私は、彼らにつながるものを、いつしか無くしてしまったのです。けれども、いつだって、その顔を思い出すことができる。笑顔を向けてくれた人たちのこと。本当は飛び上がるほどに嬉しいくせに意地をはって、自信がなくて、見て見ぬふりをして通りすぎた。きっと今ならば「お~!ひさしぶり!げんきしちょった?いま なんしよん?」(たとえば故郷の友人の場合)互いに目を丸くして、肩をたたきあって、偶然の再会を笑い合える。この間、こちらに越してきて初めてできた、幼稚園のママ友達と一緒にランチをしたときのこと。降園時間が不規則で、ちっとも時間の余裕がない幼稚園生活を愚痴りながら「あーあ、こんなことなら保育園を選べばよかった」と言った私に、「でも私たちが出会えたでしょう」と返してくれた彼女。一瞬、顔を赤らめてしまった私。泣きたくなるほど嬉しい言葉だった。そう、やっぱりそれでも出会える。別れと出会い。どちらも愛おしい春。