帰郷
物心ついた頃から、高校を卒業して家を出るまでずっと一緒に暮らした曾祖母の13回忌に合わせ、息子を連れて久しぶりに帰郷しました。都心では考えられないくらい涼やかな風が吹き、ヒグラシがさびしげにないています。夏の暑い盛り、99歳で亡くなった曾祖母。今となってはとても懐かしく、もう一度会ってゆっくり話をしたいと思うのですが、あの頃は自分のことに忙しく、あまりにも身近にいすぎて、その存在を大切に思うことができませんでした。私の親は不運にもふたりともが両親を早くに亡くしてしまっていたため、私は生まれながらにして、祖父母に恵まれませんでした。優しいおじいちゃん、おばあちゃんの話をする友達がいつも羨ましかった。そのかわり我が家には、父にとっては母親代わりともいえる祖母、私にとってはひいばあちゃんがいたわけですが、孫である父のことを可愛がるあまり、周りとの折り合いがうまくいかず、気が強く自己主張の激しい性格が年を増すごとにヒートアップしていき、それは大変なのでした。母はやつれ、父は板挟み、曾孫の私たちのことも敵にまわし、ひいばぁちゃんは暇さえあれば、ひがごとばかり言って、みんなを困らせていました。いまにして思えば、耳も遠かったし、寂しかったんだろうな。明治、大正、昭和、平成と四つの時代を知る、偉大なる日本の母だったひと。八人も子供を生んだのに、全員が戦争や病気で自分より先に死んでしまった不幸なひと。最後に亡くした娘の長男であった父に、思いきり甘えて自己の存在意義をぶつけまくり、毎晩ふとんの中で手を合わせて長々とお経を唱え続け、病気ひとつせず99歳まで生きた。亡くなる前日は父の50歳の誕生日で、表に大きく力強く「まさちゃん、お誕生日おめでとう」と書いた、1万円入りの封筒を父の手に握らせ、「なんか好きなもの買いなはい」と微笑んだそうです。孫の50回目の誕生日を祝い安心したのか眠るようにして逝ったひいばあちゃん。遺影を見つめながら、もう一度会えたら、優しい言葉、労いの言葉をいっぱいかけてあげられるのにと思うのです。