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語りと筆しごと~書家香玉のうずまき帖

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2011年11月21日
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カテゴリ:書家として
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私のいとこが念願の居酒屋を出しました。福岡県行橋市の行橋駅から徒歩3分の立地
「きずな家えん」というお店です。

小さな頃から可愛がってもらった伯父の長男で私より二つ年下。笑うと目がなくなる穏やかで優しい男の子でした。
ずっと伯父さんの血を継いで工業系をまっしぐらだったのが、ある時から食に目を向け始め
いろいろな料理屋で修行したそうで、いつか自分の店を出すのが夢だったそうです。

おいしい酒、料理を共にしながら末永く人と人との絆を育んでもらえる縁結びの場所となるようにと
「きずな家えん」という屋号をつけたそう
僭越ながらその想いを筆に込め、看板を書かせてもらいました。

彼の父親はもともとは船員さん。船舶の免許はもちろんその後は看護士として働いたり
なぜか調理師免許も持っていましたが、最後にはエンジニアとしての才能を開花させ自宅で会社をおこして
いろいろな部品を作る仕事をしたりと何をやらせても器用にこなす、私の母にとっては自慢の兄でした。
私の父同様、お酒が好きで人が好きで、杯をかわしながらいつもニコニコと語り合うのが好きな人でした。
兄弟のいなかった父はこの伯父を本当の兄のように慕っていたようで、父が楽しげに「にいさん、にいさん」って
呼びかける声が今でもとても印象的に耳に残っています。

しかし会社をおこしてからの伯父のその後の人生は壮絶なものでした。

50歳を前に突然、失明してしまったのです。

当時、社会人として働き始めたばかりだった私、これほどショックなことはありませんでした。
あんなにスーパーマンのように何でもできて、いつも優しくて、子供の頃から海に連れて行って
くれたり、初めての一人暮らしのときには、率先してトラックを出し引っ越しを手伝ってくれたりと
伯父さんとの思い出は数えきれないほど。
失明して初めて伯父さんに会いに行き、その手を握って「なんでなんで」と飛びついたときのことを
今でもはっきりと覚えています。

船乗りとして世界を旅し、見聞を深める楽しみを誰よりも知っていたであろうおじさんが
まだまだこれからという時に、突然、愛する人の顔さえも見えない真っ暗闇に放り出されたなんて。
いくら目隠しをしてその辛さを想像しようとしても足りませんでした。

だけど、伯父さんは本当に強かった。
光を失ってから20年近く、必死で生き抜きました。
点字を学ぶのはもちろん、視覚障害者として仲間を増やし、音声読み上げソフトを使って
パソコンの技術を学び、そこでできることをどんどん見つけて挑戦していました。

しかし最後にはがんに侵され、67歳で逝ってしまった。
あんな素晴らしい人が最後の最後まで苦しみを与えられ、神様は本当に不公平と
去年、病床で私の父がしみじみと語っていました。目が見えない兄さんの入院生活は
どれほど辛かったことだろうと、それを想像すると自分の苦しみなどなんでもないと。

伯父さんが旅立つその日に駆けつけ、兄さん、兄さんと手を握って声をかけ続けたという私の父。
まさか翌年に自分も同じ病気になり、まさか兄さんと同じ日の同じ時間に亡くなることになるとは
誰が想像したでしょう

本当に人のえんとは何と不思議なことでしょう


前置きがとっても長くなってしまったけれど、そんな素晴らしい伯父さんに育てられた一人息子の
お店ということをぜひたくさんの人に知っていただきたい。

自分の父が守り抜いた想い、そして私の父の存在、ふたりの父が繋いでくれた真の絆の尊さも
この店に盛り込めたらと、涙ながらに私に語っていました。

きっといい店になるはず。

行橋にお住まいの方はもちろん、行橋に知り合いのいらっしゃる方、行橋にお出かけの方
どうぞ宜しくお願いいたします






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最終更新日  2013年10月24日 01時51分25秒
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