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語りと筆しごと~書家香玉のうずまき帖

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2015年03月05日
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テーマ:ニュース(99879)
カテゴリ:渦巻く心もよう
体罰は反対だとずっと思ってきた。

上のものが下のものに向かって手をあげ、その痛みにより、事の善悪をわからせよう、反省を促そうという行為。
まるで動物の調教と同じではないか。私たちは人間であり、言葉や表情や涙や抱擁やまだまだいろいろな手段を持っている。伝え方は体の傷や痛みの記憶でなくてもよいのではないか。
子育て中はそれでも、分からず屋の小さな息子の手足や尻を軽くパチンと、または思い余って体を突いたり、したことはある。
とはいえそれは、四六時中一緒の母親なら程度をわかってのことであり、一方の男親が、ある時あんまり言うことを聞かないからと、その子の頬を強くはり、実際、身長1メートルちょっとの小さな体が、そのまま宙に舞うように薙ぎ倒されたその瞬間には、私はとっさに、激しい勢いで男に殴りかかっていた。

暴力断固反対。
子供が痛いと、同じようにこちらも痛い。
だから、あの、河川敷で裸で惨殺されたあの子の母の痛みはどれ程だろうかと毎日想像しては身悶えする。
けれども男は、少しぐらい痛みをもって学んだ方がよいとされている。現に男親も同じように、悪いことをすれば父親から叩かれて育ったという。なぜ叩かれるようなことをしたのか、その痛みをもって、二度とすまいと体で覚える方が良いという。

体罰、いわゆる愛のムチはやっぱり必要だ。

そんなふうに最近、無性に思うようになった。

実際のところ、女である私も、親から叩かれたことはないが、小学校、中学校では教師から頬を叩かれた経験が何度かある。
原因は、忘れ物やら、仕事を怠けたりやら、班の連帯責任というのもあった。
叩かれた瞬間、顔が何倍にも腫れ上がってしまったような錯覚に陥るほど、痛くて痛くて、なんともいえない気持ちになった。あの恐怖と痛みは忘れられない。
今だと大問題なのかもしれないが、それくらい教師も真剣だったし、教師自身も涙を流しながら、目の前の子供に正義を説こうと頑張っていた。

今の学校ではそうしたくてもできない環境にある。教師が子供の人間形成にどこまで関わるのか。とても難しい問題だ。叩かれたら痛いという体験も、もしかしたら皆無な中で子供たちは育っているのだろうか。
だから簡単に他人を傷つけ、その痛みも想像できない人間が育っているのだとしたら。
18歳にもなって、そんなこともわからない人間がまだまだ周りにウヨウヨいるのではと思うと身の毛がよだつ。

私たちはどうしたらよいのだろう。
ただただ暴力反対というだけでなくて、何をするべきなのか真剣に考えなければと思うこの頃。







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最終更新日  2015年03月05日 13時31分24秒
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