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語りと筆しごと~書家香玉のうずまき帖

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2015年11月17日
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福岡市で昨年9月、筑豊の映画文化にスポットを当てた映画祭を同志と企画した。毎年9月、アジア映画をテーマに福岡で二十数年にわたって続けられている映画祭「アジアフォーカス」にあやかり「チクホウフォーカス」と名付けた。上映作品は渾身(こんしん)の1本、1975年東宝制作の「青春の門」(筑豊篇〈へん〉)だ。

 今なぜ「青春の門」なのか、しかもなぜ福岡でやるのか。いろいろな方から疑問を投げかけられた。特にロケ地田川では、当時を知る世代の方々からこんな声も聞こえてきた。

 「田川の恥やった。暴力、貧困……。暗いイメージがあの映画によって全国に広まったと思っちょう人も多いんばい」「今さらあの映画を見るより、原作の五木寛之さんに、なぜあのようなストーリーにしたのか、改めて問う会やったら参加したい」。思いがけない言葉に驚いた。

     *

 昭和後期生まれの私たちが地元を離れ、職場などで故郷の話になると、たびたび諸先輩方から「おお、青春の門の田川か」と言われ続けてきた。あいさつ代わりのようなその言葉を愛想笑いでやりすごしてきた。実は改めて詳しく知る機会もなく、小説を広げてみてもそこに故郷の風景を感じることはできなかった。

 ところが2013年夏、主役の「信介しゃん」を演じた俳優田中健さんのトークイベントの司会の仕事に恵まれた際、ついに映画「青春の門」の映像に触れた。あまりの熱量に衝撃を受け、自分が生まれた頃の田川でこれが作られたのかと思うとゾクゾクした。

 大竹しのぶさんの映画デビュー作であり、吉永小百合さんを始め名だたる大スターたちが長い間、田川に滞在した。香春岳やボタ山のあるなじみの風景の中で迫力の演技をされている。炭鉱労働者の様子、濃い人間模様と心意気が今に伝わる。

 当時のパンフレットを読むと、監督の浦山桐郎氏がいかにその歴史を重視しリアリティーを追求して、世代を超えて長く見られるように、と思いを込めていたのかがよくわかった。原作の五木さんも、だからこそ浦山監督を指名したのだと記している。

 弱い者いじめをする息子を「なんちかんちいいなんな。香春岳が笑っちょるばい」と叱る強き母。その夫は「馬鹿も利口も命は一つ」と自らを犠牲に地の底の仲間を助けに入った。俳優陣の眼力の凄(すさ)まじさには圧倒される。

     *

 かつて筑豊は日本一の炭鉱町として国の近代化を地底から支えてきた。多くの犠牲を払いながらも、炭鉱があったからこその人の絆、様々な文化が花開いた。映画もその一つで、全盛期には田川地区だけで25の映画館があったという。

 閉山後に育った私たちには、とても信じられない話ばかりだ。地元で思い出に浸って終わるのではなく、先人が作ってきた宝を私たち世代で見直し、新たな視点から広く紹介していけたら。そう思っての福岡市開催であった。「同世代に届け」との願いを込めて。

     ◇

著者 青木美香(あおき・みか) 
1972年、川崎町生まれ。父が主宰する「政風書道会」で4歳から筆に親しむ。地元テレビ局で報道記者やアナウンサーを経験し、言葉や文字によるコミュニケーションと情報発信をテーマに活動している。





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最終更新日  2015年11月17日 11時24分17秒
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