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語りと筆しごと~書家香玉のうずまき帖

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2015年11月17日
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筑豊の映画文化を紹介する初めての映画祭「チクホウフォーカス」の企画にあたり、主催者として「共同ポケット」という任意団体を作った。団体といってもメンバーは2人。ともに田川出身で福岡市在住、働き盛りの昭和後期世代といったところか。

 名前は私が生まれ育った川崎町にあった旧共同石炭鉱業島廻(しまめぐり)炭鉱に由来する。実家の目の前に1980年代初頭までコンクリート造りのじょうご型をした貯炭施設の遺構があり、「ポケット」と呼ばれていた。

 子供の頃の格好の遊び場。じょうごの口から入り、暗い中にぽっかりと浮かぶ真四角の空を見上げるのが好きだった。背中にひんやりとしたコンクリートの感触を楽しみながら雑誌を読んだり、袋菓子を食べたり、最高の秘密基地だった。

    *

 ポケットは取り壊され、ただの空き地に変わった。いつのことだったか全く記憶にない。写真も一枚も見当たらず、私だけの遠い記憶の風景の中で終わっていたはずだった。

 ところが、2012年に川崎町に観光協会ができて事情が変わった。寂れた荒野のイメージしかなかった故郷に「観光」という言葉が何とも不釣り合いで驚いた。初代事務局長には三十路に入ったばかりの若い男性が就任したという。

 男性の母親の実家がうちのすぐそばで、祖父母はまさに島廻炭鉱で働かれていたとのこと。若き事務局長は「観光協会」として町の歴史を写した写真を収集、整理した中から、見事にポケットの写真を探し当ててくれたのだった。

 田川市出身で、それまで福岡市に出て仕事をしてきた彼は、祖父母との思い出が詰まった川崎で新たな仕事をしようと帰ってきたそうだ。しかし、いざこの地の「観光」を考える集まりに参加すると「炭鉱の歴史」を生かす案がなかなか出てこない。地元ではなるべく暗いイメージを消し去る方向で町づくりが進もうとしていたという。

 幾度も落盤からはい上がり、採炭夫として必死で生き、最後はじん肺に苦しみながら死んでいった。そんな祖父を思うとやりきれず、観光協会としてできることを模索していた彼にとっても、ポケットの記憶の共有は光となり、私たちは同志として活動を始めた。

 それが共同ポケットの相方、山本剛司。彼は今年4回目を迎える人気イベント「かわさきパン博(ぱく)」の仕掛け人でもある。

    *

 チクホウフォーカスの前年、「イマジネーションツアー」と題した福岡発着のバスツアーを企画した。炭鉱の歴史を写した写真、今もわずかに残る遺構を目にしながら、かつてポケットがあった空き地で石炭バーベキューをした。

 何もないが、今あるもので当時を想像するという試みは大型バスを満員にし、キャンセル待ちが出るほどの反響だった。「知りたい、感じたい」と思う人はまだまだいる。この手応えが「共同ポケット」の夢を膨らませていった。





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最終更新日  2015年11月17日 11時32分39秒
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