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カテゴリ:筑豊さんぽ道(朝日新聞連載記事)
「炭鉱」なき後に何が残ったか。棄(す)て去られ荒れ果てた土地、廃屋、働く意欲をなくした人々。賑(にぎ)わっているのはパチンコ屋か月一度の生活保護費支給日の役場か。暴力団が幅をきかせ、理不尽なやり方がまかり通る公共工事で、空き地は適当に掘り返される。 小学生の頃、空き地にブルドーザーが何台も入り、巨大な穴を掘っているのに気づいた。工事のおじさんに「何ができるんですか」と聞くと「プールよ」と笑顔で言った。家の近くにプールができるなんて夢のよう。本気で待っていた。 ところが結局、長方形の巨大な穴の壁面はコンクリートで塗り固められただけ。工事は途中で終わった。防火水槽らしかったが、水が入ることもなかった。商店街や飲食店は次々と潰れていった。 今になって、故郷を盛り上げる仕事ができればと、「共同ポケット」を立ち上げた。私たちの原動力は、廃れた故郷に希望を持てずに出て行ったことだ。一方で故郷の良いところを探したいとの思いもある。相方は自分の活動を「故郷が好きになるためのリハビリ作業」と口癖のように言う。 * 「炭鉱」がもたらした文化に光を当てる「チクホウフォーカス」のシンボルとして掲げたのが田川市の後藤寺地区に現存する「ターミナル会館」だった。 昭和の終わりまで「映画館」として営業したのち閉館した。地下にも2階にもレストランがあり、当時では珍しい複合型商業ビルの先駆けだ。幸い、建物は昔のままの状態で現在はバスターミナルとして残されている。往時には田川市郡だけで25の映画館があったそうだが、それを伝える風景は今やここだけとなった。 イベント開催にあたり資金不足に悩んだ私たちは、県が募集する「守りたい景観」を掲げた地域貢献活動サポート事業に応募した。 身近に娯楽施設などほとんどなかった子供の頃、ターミナル会館での映画に思い出を持つ人は多い。建物の老朽化は仕方ないが、できるだけ長くその風景を留め、たくさんの方々と思い出を共有したいという思いを込めてプレゼンし、50万円の助成金を得た。 * ターミナル会館のオーナーが福岡市在住と聞き、会いにも行った。後からわかったことだが、オーナーは川崎町の初代町長も務めた炭鉱主の血縁の方で、私たちの活動に大変な理解を示して下さった。 オーナー自身は小学生の頃に田川を離れていたが、「若い人たちが地元のために頑張っているのだから」と各方面に協賛を呼びかけて下さった。「田川の人たちを参加させなくてどうしますか」と、バスターミナルから福岡市の会場へ連日のツアーまで企画して下さった。懐の大きさと行動力は炭鉱主の心意気そのままのようで鳥肌がたった。 気がつけば、私たちと同様、「故郷を離れているからこそなんとかしたい」「やっぱり放ってはおけない」という先輩方に次々と助けられていた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015年11月17日 11時33分06秒
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