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語りと筆しごと~書家香玉のうずまき帖

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2015年11月17日
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「あんたはなしかね、なんか心ここにあらずな顔をして。一人で大きなったんやないんばい。にあがんなさんなよ」

 「にあがんな」。調子に乗るなという意味だ。5年前に65歳で他界した父、青木政紀からは筑豊ならではの言葉でよく制裁を受けた。ちょっとよいことがあるとすぐに高揚し、「煮上がったように」我を忘れてはしゃぐ、単細胞な私に対しての戒めの言葉だ。

 地元で習字の先生として親しまれていた父が口にする言葉は、一度聞くだけでは意味がわからないものも多かったが、後になってひざを打つことも多く、味わい深かった。

    *

 父は川崎町の歯科医院で長く歯科技工士として働きながら、地域の子供たちを相手に自宅や公民館で30年以上も習字教室を続けた。

 親子ともに熱心な生徒もいれば、学童保育代わりに子供を任せきりの親もいた。月謝を何カ月も滞納されたり、休みの時でも関係なくやってきたり、親が帰ってこないという子供の家で一緒に留守番をしてやったり……。呆(あき)れるほど面倒見のよい先生だった。

 私自身は4歳から筆を握らされた。周りには優しかったが、娘には思い入れが強かったのか、コンクールの課題を書く時などは正面で仁王立ち。太い黒眉は筆そのものの祟(たた)りのように見えて恐ろしく、いつも手を震わせながら書いていた。

 世は「美文字」ブームだが、父の字ほど美しく正しい文字はないのではないかと思う。妹は父に従い師範免状を取得したが、堪(こら)え性のない私は父の手本や古典にならって型通りの字を書き続けられなかった。

 その代わり、自分流の筆文字仕事をあみだした。2006年春、「Name’s Story」と銘打ち、一人ひとりの名前からイメージする言葉を書にするギフトショップをネット上に立ち上げた。口コミで注文がくるようになり、今年で10年目。名前という唯一無二の言葉をきっかけに、多くの出会いが生まれ、約2千人の作品を作った。

 書に関しては父はとても厳しかった。だが、亡くなる直前、「あんたらしい仕事を生み出したね、お父さんにはとても真似でけん。がんばんなさいよ」とほほ笑んでくれた。

    *

 父は1945(昭和20)年、終戦間際に生まれ、10才で僧侶の実父を亡くした。明治生まれの祖母と母と妹の中で「男らしく、頼もしく」と気を張り、苦労ばかりしてきた。米屋に住み込みで働きながら高校を卒業。集団就職で上京し、銀座の真ん中でサラリーマン生活を送っていたこともある。ほどなくして故郷に舞い戻り、同じ高校の後輩を妻にして私が生まれた。

 「なぜこんな田舎に帰ってきたのか」と尋ねたことがある。「ここが好きなんやろうね、知足がちょうどいいね」と父。荒野にも四季折々に花が咲き、野鳥が集う。「足るを知ること」。今あるものを大切にすること。父から教わった言葉で一番胸に響く言葉だ。





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最終更新日  2015年11月17日 11時33分36秒
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