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語りと筆しごと~書家香玉のうずまき帖

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2015年11月17日
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十代の頃、歌手になりたいと思った。同じように歌手を目指したこともあったという父からは、芸の道がいかに厳しく、転んでも誰も手を差し伸べてはくれない、と何度も言われた。

    *

 私が生まれた頃にはやった1970年代のフォークソングにも魅せられた。ギターとハープ、絞り出されるように歌われるメッセージソングを夢中で聴いた。大人の世界を独特の歌詞で描く井上陽水とわが両親は同じ高校出身で、同世代と知って誇らしかった。

 心の中を歌で表現できるなんて最高の仕事だ。廃坑跡のポケットでもよく大声で歌を歌った。今になってこの町に育ったからこそ歌に惹(ひ)かれるのだと気づく。

 田川市は炭坑節の発祥の地、わが川崎は黒田節を世に紹介した国民的歌手、赤坂小梅の生まれ故郷でもある。のど自慢の父も、いろんな歌を聞かせてくれた。盆踊りでは櫓(やぐら)の上で気持ち良さそうに音頭を口説いていたし、浪曲入りの黒田節は父の十八番でもあった。

 私自身の歌手の夢はかなわず、カラオケで発散するくらいだった。バスツアーなどを企画するようになって初めて、人前で歌い、喜んでもらうことの素晴らしさに目覚めてしまった。

 いつしかバスの中やイベント会場で手拍子を促し、「香春岳から見下ろせば」で始まる正調炭坑節を、赤坂小梅の野太い低音をまねて黒田節を、何のためらいもなく歌えるようになった。一緒になって手拍子しながら歌ってくれるお客さんの笑顔がうれしかった。

 人里離れた荒野に育った私だからこそ、人一倍、文字や言葉や歌を求め、その思いを多くの人と共有、伝達できる仕事を目指すようになったのではないか。

    *

 高校卒業後は、福岡市で初めて一人暮らしをしながら短大の英語科に通った。ある日、地元テレビ局主催のアナウンスアカデミーの夜間講座に申し込み、アルバイトでためたお金を丸々つぎこんで通い始めた。

 講師はテレビ局を定年退職した元アナウンサーのおじさまだ。さりげなく鼻濁音を発し、ソフトながらもよく通るスマートな語り口で、発声法から表現力まで毎回いろいろな視点から教えてくれた。

 縁のなかった世界に足を踏み入れ、刺激的な人たちと出会った。他の受講生は新聞記者やテレビ局の新卒入社を目指すといった明確な目標を持った4年制の大学生ばかり。短大卒にはその道は厳しく場違いな感があったが、講義では最後に、先生が受講生を中洲の屋台に案内してくれて交流が深まった。

 思いをいかに自分の言葉で伝えるか。相手の言わんとすることをどれだけつかめるか。実践を交えての時間はとても勉強になった。

 人生を振り返る時、この人に会わなければ、この道にはいなかったという出会いが幾つかある。この先生との巡り合いがそれだ。この時ばかりは誰の助けも借りず、自らの意志だけで飛び込んでつかんだチャンスだった。





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最終更新日  2015年11月17日 11時34分00秒
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