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カテゴリ:筑豊さんぽ道(朝日新聞連載記事)
「小を見続けることで大を開く」。これは筑豊文庫から巣立ち、国際貢献に奔走するジャーナリスト、川原一之さんから教わった言葉だ。身近にある小さな地域の長短を根気よく見続け、その地に不可欠な人脈を築くことで、やがて大きな世界へと通じてゆく。 国主導の「地域創生」という言葉があちこちで聞かれるようになった。軌を一にして、総合学園ヒューマンアカデミー福岡校で、「町づくり」を仕事にできる人材を育てていこうという新学科「地域デザインカレッジ」の立ち上げにかかわった。 * パン博などを主催する川崎町観光協会を先導してきた共同ポケット相方の前職場からの依頼だった。さて私に何ができるかと考え、はたと気づいた。「代弁者」になれたらよいのではないか。 世の中にはいろいろな人が多様な分野で活動し生計を得ている。正直者が馬鹿をみることなく、地道に頑張っている人にきちんとお金が回るシステムが定着して欲しい。そう願いながらカレッジの紹介パンフレットを作った。「故郷や家業を盛り上げたい」「自分ならではの仕事をしたい」といった10代後半から20代前半の若者たちが九州各地から入学した。 「産学官」という言葉も珍しくなくなったが、地域密着の優良企業とのパイプを築きながら、それぞれの専門分野を持つ講師陣とともに様々な現場実習や発信をし、将来、地域のリーダーとなる人材育成を目指す。 * 私にとっての逃れようのない「小」は間違いなく筑豊、田川だ。昨年なんとか成功できた炭鉱をテーマにした映画祭「チクホウフォーカス」を今年は地元田川でやりたいと考えている。山本作兵衛翁がただ自分の子や孫のためにと残した仕事が「記憶遺産」として世界に発信されたことを思えば、やはり炭鉱がもたらした文化、人々の絆こそが私たちの誇りと活路だ。 70歳でも戦後生まれという時代、日本人の戦争体験者がひとりもいなくなる日も近い。戦争でも、炭鉱でも、当時を伝える資料はいろいろとあるが、実際にそこに生きた人々から話を聞かせてもらうことほど、心に迫るものはない。当時の暮らしが垣間みられる写真や映像をもっと掘り起こし、対話を続けたい。 私たち昭和後期生まれは辛うじて、まだ体験者が身近にいて、想像力が鍛えられた。先人たちの仕事に学び、その声にできるだけ耳を傾けて代弁者となり、次世代が関心を持てるような発信をしていく。 ボランティアではなく、プロ意識を持った仕事として継続していくためにはどうすればよいのか。毎回のこの連載記事をラミネート版にしてプレゼントしてくれた田川市在住の80歳を超える元三井田川の炭鉱労働者は常々、「大切なのはチームワークだ」という。人が喜ぶことをお金に変える、そのために走り回った時間を生きる糧に変える。チームワークと人海戦術で故郷を元気にする新たな仕事を生み出したい。 <完> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015年11月17日 11時36分06秒
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