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カテゴリ:映画をめぐる冒険
ウッディ・アレン(1935~)
映画監督。77年『アニー・ホール』で アカデミー脚本・監督賞を受賞。 その他『マンハッタン』『カイロの紫の バラ』『ブロードウェイと銃弾』など多数。 ―――ところで、祝祭男さんは、どんな映画が好きですか?って、 またとりとめもなく聞く訳なんですけれど。 祝祭男】 そうですね、それに関しては割とはっきりとした好みがありますよね。 ―――ふふん? 祝祭男】 やっぱり文句なしに、群像劇、ということになると思います。 ―――それはまた、だいぶ大掴みな答え方だと思いますよ。 ほとんどの映画は群像劇であらざるを得ないんじゃないかと思いますけど 祝祭男】 うん、でも、実際はほとんどの映画の中の登場人物というのは、 何らかの役回り、ある一定の効果を発揮するための設定に縛られていて、 一体何なんだこいつは!この映画において、あの男は何のための存在だったんだ? っていうような人物の描き方はあんまりないですよね。 ―――そりゃ、まあ至極当然のことに聞こえますけれど。 祝祭男】 私としては、誰一人として、この物語において重要な人物はいない、 でも、たった一人欠けただけでもこの映画は成立しない、 というような世界の切り取り方が好きなんです。 ―――う~ん、よく判らないぞ… では、具体的にはどんな作品がありますか? 祝祭男】 そうですね、いろいろとあるんでしょうが、 今日はウッディ・アレンが1986年に撮った『ハンナとその姉妹』を取り上げてみたいと思うんです。 ―――ああ、なるほど。確かにその作品は群像劇と呼べるんでしょうが、 割とステレオタイプの人物が登場してきますよね。 オチもはっきりしているし。 祝祭男】 確かにそうかも知れない。 簡単なあらすじとしては、ウッディ・アレン演じる冴えないテレビディレクター、 彼がある時、どうしようもないお馬鹿な死の恐怖に取り憑かれるわけですね。 ハンナというのはウッディの別れた妻。 そしてハンナの夫は、ハンナの一番下の妹に横恋慕している。 もう一人の妹はビジネスを始めたり、 女優のオーディションを受けたりとフラフラしているタイプ。 そういうありふれたトラブルを抱えた姉妹、夫婦の間をウッディがグルグル巡る、 という感じのストーリーです。 ―――確かに複数の主人公がいますよね。 祝祭男】 ウッディ・アレン自体は、群像劇を撮り続けてきた、 っていうタイプの映画作家ではないですよね。 でも、彼自身インタビューのなかで、「これはアンサンブルの映画なんだ、 自分はそのスタイルを気に入っている」という風に話しています。 そして、かなわぬ夢や満たされない情熱を抱いた人々のエピソードがテンポよく繋がっていく。そのことを「チェーホフ的」とも呼んでます。 ―――なぜ、そういうものに祝祭男さんは惹かれるんでしょうね? 祝祭男】 そうですね、なぜなんでしょう。 それは言ってしまえばものすごく単純な理由でしかないような気もします。 たとえば、人のにぎわい、とかね。 それににぎやかであるのは別にして、実人生を投影しやすい、とか。 ―――ああ、なるほどね。 祝祭男】 今日、ウッディ・アレンの名を挙げたのは、 それとは別に、個人的に彼の映画から学んだ、学んだって言うと大袈裟ですけれど、色んなことを教えられたような気がしてるってこともあるんですよ。 ―――ふむふむ。 祝祭男】 まず、私は彼の映画を撮る姿勢、というものが好きなんです。 たとえば彼はインタビューの中でこう言っています。 「大ヒット作になるかということは、僕にとってはどっちでもいいことだ。 一生懸命仕事がしたい。ただ、それだけだ。とにかく、映画を撮りたい。 次から次へと撮りたい。」 そしてこうも言っています。 「映画作りを日常生活の中に組み込み、きちんとした生活を送る。 そして他のことも同じようなやり方で楽しむ。僕はそうしている。 音楽を演奏したり、子どもと遊ぶのもいいし、レストランで食事をしたり、 散歩したり、スポーツ観戦したり、何でもいい。 いろいろなことをやると、バランスのとれた人生が送れる」 ―――映画作りという話を離れても、気持ちの良い考え方だと思います。 祝祭男】 そうですね。あと一つ付け加えるならば、 ユーモアさえあれば人は生きていける。 そういうことを教えられた気がしますよね。 ―――そうですか、早速ウッディ・アレンの作品を見たくなりました。 それではまた! 聞き手 祝祭男の恋人 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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