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カテゴリ:映画をめぐる冒険
映画『昨日・今日・明日』(1963) 監督ヴィットリオ・デ・シーカ ―――さて、最近イタリア映画にはまり始めている祝祭男さん、こんにちは。 祝祭男】 あなたもこんにちは。 えっと昨夜、『昨日・今日・明日』って映画を見ました。 昔一度見たことがあるんですけども、ほとんど忘れていました。 三つの話のオムニバス形式なんですけれども、一話目の奔放とユーモアが苛烈に突出していて、結局またそのエピソードだけが記憶に残ることと思います。 ―――祝祭男さんの好きなソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニですよね。 祝祭男】 ええ。人は誰しもそうですけれど、特にこの二人に関しては、 『この人はとても魅力的だけれど、みんながみんなこんな風だったらとても困る』 って感じるんですよね。そういうところがとても好きです。 ―――ソフィア・ローレンの魅力ってなんですかね。 祝祭男】 さあ、口が大きくて、早口で、声がでかいってところでしょうかね(笑)。些細なつまずきで何かを諦めることなんて絶対しないぜ、 っていうような芯の強さみたいなものを顔の印象から受けます。 それがとても奇麗です。 ―――なるほどね。すごいグラマーですよね 祝祭男】 そうですね。 映画の中では、ソフィアとマストロヤンニは夫婦です。 闇タバコの罰金を滞納して、とうとう刑務所に入れられちゃうぞ、っていう始まりなんですけど、妊娠してるか、子供がまだ生まれて半年だったら収監されないっていうんで、どうするかって言えば、それこそもう産んだそばからまた妊娠して、 ってのを繰り返していくわけです。 マストロヤンニはヘロヘロになるんですが、 ソフィアは逆にどんどん活気づいてくる。 すごい生命力で、底抜けに明るい感じですね。 ―――笑える展開ですね。 祝祭男】 ええ、もう子供なんて何人いたって構いやしねえって感じでね。 近所の人が、子供のお昼ご飯は?って訊くと 『さっき歯磨き粉食べてたからいいわ』ってなもんでね。 箒持って追いかけ回したり、ベラベラまくし立てて堂々としてますね。 そういうのっていいと思います。 ―――近所の人もいい加減だけど心優しい感じですよね。 祝祭男】 うん。こういうのってステレオタイプとして『古き良き民衆』、 というか『庶民の力』って感じでいいんですけれどね、 本当にそんな時代があったのかな?って私なんて思いますよね。 例えば『パリ解放』の歴史映像みたいなのを見ると、 民衆が道の両脇を埋め尽くして、道路沿いの高窓からは三色国旗と紙吹雪、 みたいなね。あるいは、もっと別に、 お上とかお役人なんて馬鹿にしっぱなしでね、 税金はちょろまかすもんだし、法の目はくぐり抜けるもんだ、 っていうような民衆像、これはどうなんでしょうね? 昔と今とそんなに変わったんでしょうかね。 ―――どうなんでしょうね。 祝祭男】 地域の共同体とかさ、家族の連帯感とかさ、 本当に昔はもっと違う形だったんでしょうかね? そのへん詳しくないんですけれど、そういうのが崩壊したとは散々耳にしますけど、いったいどんなもんなんでしょう? っていうか、この映画のエピソードから感じるユーモアとか、一種の暖かみみたいなものって、そういうところに根ざしているのかな、って気もするんですけどね。 う~ん、やっぱりでもまあ変わったんでしょうね。 子供を叩くとかね、老人に『クソばばあ!』って叫んだりね、 そういうのは今やったらば逆に『陰惨そのもの』って感じですもんね。 ―――かといって昔はそうじゃなかったともあまり思えませんけどね。 祝祭男】 うん、でもこの映画の中のソフィア・ローレンはいいですね。 大声も悪態も、誰にももたれ掛からないものなら、こんなにも爽快なんですね。 近所付き合いがなくなってきたって言うのに、 逆に今のほうが、一つの行為や言葉に無意味に縛られている感じがしますよね。 個人個人の心情的に。 大声で早口で喋る天真爛漫が、ただの変な奴として受け入れられなくなってるのかも知れない。まあ、それだけで変な奴っていう感覚もおかしいけど。 ―――なるほどね。 じゃ、祝祭男さん、これからもイタリア映画を見たら、ちょくちょくお喋りしましょうね。 では今日はこのへんで、 それではまた! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Mar 23, 2005 09:11:45 PM
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