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カテゴリ:日常をめぐる冒険
時々、祖母に電話を掛ける。
もっとマメマメ電話しようと思いながらも、 たまに、掛ける。 祝祭男は俗に言う『おばあちゃん子』として育ったが、 『おばあちゃん子』とは何か?という問いに対しては、 すなわち「おばあちゃんがファースト・レディであること」と答えたい。 実態はそうでなくとも、少なくとも『おばあちゃん子』の精神とは そのようなものである。 そこで、祖母に電話した際に 「大好きだよ」と一言添えてみようか、とふと思い付いても、 実際にはそんなことは照れくさくて到底口にできない。 「愛してる」なら、かなり阿呆な響きがあるので、言えるか?と 考えてみるが、あまりに阿呆な感じで、事実上意味をなさない。 ならば、言わない方がまだましだ。 「不機嫌なジーン」に登場する南原教授は、 よく「愛してる」と発言するわけだが、それは何となく、 自分の人生の姿勢(異様に空疎なスタンス)をオーラのように醸し出す 働きをしていて、あの発語が、彼のアイデンティティを支えている ような気さえする。 祝祭男は「愛してる」なんて、いついかなるときにも言ったことがない けれど、私の友人は「俺、…ある」と答え、「俺は軽い男だな」と 反省していた。しかし、もしこれを言うことで、 それを言われた相手には、全体的には猛烈に空疎な印象を与えるけれど、 結果として、その阿呆のオーラで全面的に肯定しています、という 雰囲気が醸し出されるとしたら、まあ、面白いし、 いいことかな、と思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Nov 14, 2005 01:49:27 AM
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