|
カテゴリ:カテゴリ未分類
もう、ずいぶん以前のことになるけれど、
恵比寿ガーデンプレイスの現代写真美術展に 「ベトナム戦争写真展」を、見に行った。 今回の目玉は北ベトナム側の資料が新しく発掘された点である。 と、いっても現時点でそのありがたみが私にはわからないけれど、 確かに、今まで見たことのある写真に較べ、 北ベトナムのうら若い女性が背中に銃を担いで歩く写真や、 厳しく敬礼の体勢をとったり、射撃訓練をしたりしている 写真は初めて見た。 祝祭男は、ベトナム戦争が何故だか気になっている、 写真展を見に来た人たちに、 「何故あなたはこの写真展を見に来たのか?」 と、いちいち問い質したいような気分になる。 何故、今頃になって、ベトナム戦争の写真を見るのか? 何故、わざわざ寒空の下を出掛けていくのか? 自分の動機が曖昧としていて、その動機が見極められないから、 そのように思うのだ。自分という人間と、ベトナム戦争の接点を なんとかして見つけようとしつつ、その繋がりは、いまだにわからない、 先送りにしているだけかも知れないが、あるいは、繋がりなど何もない、 という場所から、ただ想像力を羽ばたかせるだけなのかも知れない。 村上春樹が「ねじまき鳥クロニクル」でノモンハンの戦場を 描こうとしたように、過去の出来事にコミットすることは難しい。 アメリカに、もし旅行することがあったら、 ベトナム戦争の帰還兵に会ってみたい、とこの頃よく思う。 でも、何を問い掛けたらいいのか。 写真展に行くことの意味もわからないのに、 現代写真美術館の別の階では 「岡本太郎の視線」という展示も行われていた。 太郎が1930年代にかけて、パリで写しとった写真、 それから高度成長時代に日本列島を縦断するように、 地域の風土と人々を撮り続けた写真、そんなものが展示されていた。 でも、太郎の撮った写真よりも、今は、 彼の言葉が私を惹き付ける。 「自分の中に毒を持て」という本の中にこんな記述がある。 危険だ、という道は必ず自分の行きたい道なのだ。 ほんとうはそっちに進みたいんだ。 危険だから生きる意味があるんだ。 迷いの連続の日々にある祝祭男は、 折に触れて、この言葉に勇気づけられている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Feb 7, 2006 01:42:16 AM
コメント(0) | コメントを書く |
|