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カテゴリ:改善、修正、修理
早朝ウオーキング中に、色々な歌が、頭に浮かびます。なぜかはわかりませんが、 以前に経験したことが起因しているようです。 「叱られて……夕べさみしい村はずれ こんと きつねが なきゃせぬか」 この歌詞の「村はずれ」で、私が住んだところを思い出すのです。 独身時代に、結婚後に住むことの出来る場所を確保せねばと、やや田舎だが、 私のわずかな貯金でも購入できそうな場所として、○○村の敷地(78坪程度)を 購入しました。そこに住みたい訳では有りませんでしたが、車通勤できる範囲でした。 しかし、其処は小さな村と小さな村が合併してできた村で、私の購入出来た処は、 最も辺鄙な処だったようです。 村と村の境目で、農道(勿論1車線)を2km以上県道から走り、しかも、 砂利も入っていない坂道を登らねばなりませんでした。 結婚後、此処しか住む所がなく、止む無く結婚相手(今の連れ合い)の父親の紹介で 村近くの大工さんにお願いして10坪ほどの平屋を建ててもらい、住居としました。 車での通勤も大変でしたが、それ以上に大変だったのは、村内の字の付き合いでした。 オヒマチという世帯を代表しての字内の飲み会(ほぼ男性)の集まりは、他の字でも 有りますが、此処はオヒマチという女性だけの飲み会が有りました。しかも、 それは、各家が回り持ちで接待を務め、その為に、家族親族が駆り出されると言う事です。 (私が住み始めた時は、身重の妻がいることもあり、それでは大変だと言う事で、 私が購入した土地の元の所有者が、親切に手伝ってくれ、何とか切り抜けました。) それ以外にも、トイレの汲み取り,各家の消毒等、驚かされることばかりで、 勤め人がお付き合いできる状況ではありません。 之では此処での生活は不可能として、労働金庫で借金して現在の団地内の土地を購入し、 自宅を処分して、その金額範囲で家を建てました。 ですので、その村には良い思い出はありません。 ところがです、其処の村が「住みやすい町」に選ばれたそうです。 50年(半世紀)前とは大幅の違う様ですが、地元の方たちのご苦労が有っての事 でしょうね!。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.03.09 16:08:33
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