7/7 新日本フィル第497回定期演奏会(2012年7月トリフォニーシリーズ2日目)
すみだトリフォニーホール 14:00~ 3階正面 シューベルト:交響曲第8番 D.759「未完成」 R.シュトラウス:交響詩「英雄の生涯」 新日本フィルハーモニー交響楽団 指揮:ダニエル・ハーディング うーん.................................... 結論から言うと、私はあまり感心しませんでした。 悪い演奏ではないんだけどね......... 問題は、シューベルトなんですね。主に。 とても上手な演奏ではあるんです。よくコントロールされていて、よく音が配置されているといった風の。確かに、きちんとした演奏なんですね。ただ、歌ってないんです。 少しきちんと整理しておかないといけないと思うのですが、そもそも、楽器の集合体であるオーケストラが「歌う」とはどういうことか。 一般には、主題などの旋律をきちんと表情を持って演奏出来ている事、となるのでしょうか。ただ、これがどういうことかをもう少しきちんと考える必要があります。 歌い手が - この場合は独唱でも合唱でも同じ事なのだけれど - 歌う、歌えている、という場合は、まず、旋律線をきちんと押さえられている事は当然なのですが、もう一つ、歌詞がきちんと押さえられているか、も重要になります。端的にいえば意味は分からなくてもいいのですが(本当は良くないんだけど)、少なくとも、自分が何を発語していて、それが音楽の中でどのような抑揚、繋がりを持って発語されるべきか=歌われるべきか、ということをイメージしていないといけない。 この時、歌い手は、旋律をイメージしていると同時に、歌われる言葉の繋がりも念頭に置いて、それをどう歌うか折り合いを付けている訳ですが、これを別の言い方をするなら、旋律の表現の仕方が言葉によって規定される、とも言えると思います。 器楽が旋律を奏する場合、言葉のような、歌い方を規定する具体的な外部要因はありません。だから、その分、器楽奏者は、その旋律をどのように取り扱うか考えなければいけない。とはいえ、独奏曲のような場合には、それは存外難しい事ではなかったりします。独奏者がどうするか決めればいいのだから。センスは問われます。腕も問われます。でも、それだけのこと。複雑な問題にはならない。 オーケストラの場合は、ちょっと違う。オーケストラは、複数の楽器でパートが構成されていて、そうしたパートが複数集まって出来上がっている。なので、まぁこれは合唱の場合にも言えるのだけれど、一つの声部を同じ楽器で、或いは異なる楽器で繋いで行く事も出来るし、その複数の声部が更に絡み合って旋律を紡いで行く事も出来る。 当たり前と言えば当たり前なのですが、オーケストラの場合、この旋律をどのように紡いで行くかを構築して行くのは指揮者の大切な仕事。 そして、この一見当たり前のようなことを始めたのが、実はベートーヴェンとシューベルト。古典派の作曲家でも、似たようなことはやっていたけれど、それはあくまでフレーズが、そしてそのフレーズの組み合わせと展開で音楽が組み上がって行く様がきっちりとしている中での事。この大枠の構成感を壊す方向に動いたのがベートーヴェン、その構成を換骨奪胎して別物にする方向に動いたのがシューベルト、というとアバウト過ぎるかも知れませんが、まぁ大体そんなもんでしょう。 「未完成」あたりは、シューベルトのオーケストレーションが割とはっきりと出ている曲だと思います。旋律としては比較的はっきりしているようなのですが、フレージングとして考えると、実は切れるようでなかなか切れ目がない。特に第2楽章はそう。こういう曲の場合、オーケストラ自体の能力も問われますし、指揮者の指導力も問われる訳ですが、これがねぇ… 演奏としては、とてもしっかりした演奏だと思うんです。結局ここに書いてないけど、5月の特別演奏会にしても、マーラーとかやらせると「上手い」演奏をするんですね。しっかりした演奏。でも、率直に言って、何をしようとしているのかもう一つ分からなかった。というより、大袈裟に言うと、私はシューベルトでゲシュタルト崩壊を起こしかけたんですね。音は鳴っている。しっかりした、恐らくはいい演奏。でも、一体どういう構造で、どういう風にフレージングを仕掛けているのか。音楽として、フレーズとして、これはどういう音楽なの? ハーディングが、意図的にそのように仕掛けたという可能性は否定しませんが、それならもうちょっと分かるようにやってくるだろうと思うし、そもそもそういう作り方では無かったので、これはやはり演奏が実質的には、全体としては歌ってない、ということだと思うのです。 シューベルトの音楽は、元々、きちんと演奏すれば放っておいても勝手に歌う、という面があることはあります。でも、オーケストラの場合は、独奏曲などとは違って、やはりある程度の意思を持って作って行かないと難しいと思うのです。 後半は「英雄の生涯」。 より良かったと言えばこちらの方なのでしょう。マーラー同様、次から次へといろんなものが出て来て、爆音あり、独奏もあり。でも、そういえば、この曲はシューベルトみたいな音楽の造りとしての複雑さというのは、実はあまり無いのかも。 というか、まぁ、正直、私あまり好きではないのでね、R.シュトラウス自体… 独奏なんかは結構上手かったですよ。そういう意味では聞いて楽しく無い訳じゃないんです。 でも、結局、私が今日聞きたかったのは「未完成」なのでね.... 3階でやたらぶらぼおーを連発するオッサンが居ましたが、正直、一体何がどういう風にぶらぼおーだと思ったのか、小一時間ばかり問い詰めたい気持ちではあります。 アルミンクがミソを付け、一方で震災時のこともあって、急に株を上げたハーディングではありますし、確かに実力はあるとは思うんですが、正直言うと、新日フィルのようなオケでやるとムラが出てしまうのかなと。 そういう意味では、やっぱりアルミンクは得難い人材であり、アルミンクと築いたものは決して小さくなかった筈なのだけど、ね。アルミンクは「未完成」でのああいうところは逃さなかったと思いますよ、多分。