7/23 東フィル定期演奏会(第894回オーチャード定期 2017年7月)
オーチャードホール 15:00〜 3階正面 マーラー:交響曲第2番 「復活」 ソプラノ:安井陽子 メゾ・ソプラノ:山下牧子 新国立劇場合唱団 東京フィルハーモニー交響楽団 指揮:チョン・ミュンフン というわけで、ラ・フォル・ジュルネが終わるなり沈黙を決め込んでしまいました。2ヶ月半。 総括もしてないし、どーなってんの?という話はまぁあるのですが、その間何も聞いてないわけでなく....というとちょっと怪しげで、実はあまり聞いてない。GW明けそのまま出張してしまいまして、戻ってきて2, 3週間でまた出張。さすがにあまり知らんとこ行くと疲れます。それが二度続くと、ちょっと社会復帰するのに時間がかかる、と.......結局、デヴィーアのノルマも行ってないしなぁ。ううむぅ。 はっきり言って、音楽的に豊穣な土地に行っていたわけではありません。仕事だしね。仕事でも、合間をみてやることたやるのですが、コンサートやらがあるような土地でなし。とは言え、一度メキシコシティに滞在したので、その時にちょいとバレエは見てきましたが。メキシコでバレエ?バカにしちゃいけません。一応オーケストラもホールもあるんだから。「マノン」をやってましてね。マスネの音楽を色々つぎはぎして作ったものだそうで。 どうだったか?まぁ、バレエ、それほどよく知ってるわけじゃないしね......音楽も、いいか?と言われれば、まぁ、田舎芝居的なところではあります。その辺は、ねぇ。とはいえ国立ではあるので、それはそれなりに弾くわけです。そういう意味では、ちゃんとプロ、なんですよね。聞いてて面白い。その辺は、東欧の田舎劇場やオケに一脈通ずるものがあります。面白いんですよね。なんていうのか、こう、まるで話してるように聞こえてくるんですよね。饒舌、というのとも必ずしも違う。何を言ってるか、伝わってくる、というような。 なんでこんな話から入ったかというと、要は、今日聞いたものを一言で評すると「伝わってこない」なんですよね。 まぁ、元々マーラーは好きじゃないです。特に復活とか、なんだかなぁ、というところではあります。でも、東フィルだしねぇ。あ、新日は結局更新しませんでした。もう、いいや、と。本気で聞きに行きたくなったら、また買えばいいや、と。上岡がやってる間は、少なくとも向こう数年経ってみての出来具合次第だろうな、と。 話を戻して、そう、今日は東フィル。で、指揮はチョン・ミュンフン。この人もねぇ、別にそれほどいいとは思わないんだけど、まぁ一応名誉音楽監督だそうだしねぇ。というわけで、暑いけど行きましたよ。オーチャードホール。 で。 やっぱりね。マーラーって、つまらないと思うんですよね..... いや、これはまぁど素人である私の偏見ですよ、所詮は。単に私が理解出来てないだけだと思うし。 でも、私はやっぱり少なくとも器楽だったら構成を志向するものの方が好き。ある程度構成をきちんとしようとするブラームスの方がブルックナーより好きだし、反復とか病的ではあるにせよ、それなりに秩序というものを目指そうという努力の跡が伺えるブルックナーの方がマーラーより好き。 いや、別に構成至上主義者であるつもりはないですよ?大体がオペラなんてもっとぐちゃぐちゃだし。20世紀に入ると更にしっちゃかめっちゃかだし。ただ、なんというか、マーラー、曲によっては悪くないかも知れないけれど、やっぱりあまりいいと思わないんだよなぁ.... 終演後に必ずと言っていいほどブラボーになるでしょ?あれ聞いてると、醒めるんですよね。君ら、最後の5分か10分だけ聞きゃいいんじゃないの?という。オペラ聞く方がもっと楽しいよ、と。 今日聞いてて思ったのだけれど、マーラーって、やっぱり素人だったんだろうなと思うんですよね。いや、勿論彼はウィーンの国立(帝立?)歌劇場の監督だったのだし、職業音楽家として当然最高レベルのプロだった訳だけれど、作曲家としてはアマチュアだったと考えた方がいいんじゃなかろうかと。 今日の「復活」にしても、凄く歌いたがるんですよね、音楽が。でも、正直言って、反復は多いけれど、印象が散漫になってしまう。これがブルックナーだったら、執拗に反復し続けることで、否応無しにこっちの耳に残そうとするんだけれど、マーラーの場合、なんというか.......本当は、この人、オペラ書きたかったんじゃないだろうかと。 この曲、交響曲として、声楽が入る必然性、全然感じないんですよね。特に第4楽章。Urlichtという副題が付いていて、これ、子供の不思議な角笛から取っているけれど、この詩にしても終楽章にしても、連環はあるけれど、ここで歌っていることを音楽で描けないわけでもあるまい、という。そして特にこのUrlichtの取って付けた感といったら! 思うに、マーラーは、第5番以降じゃないかなと思うんですよね。個人的には、9番があればいい。それに、精々大地の歌。8番とか悪い冗談だろうと。むしろ歌曲の方が若い頃の音楽としてはずっといいと思う。 それは、正直言って、交響曲という形で無理やり歌おうとしてるからじゃないかと思うんですね。9番あたりはそれをどうやってオーケストラでやればいいのか、やっと落ち着いたという感じが。 言い換えると、マーラーは、ちゃんとそうした内に秘めたる忸怩たるものを解放してやらないとつまらないんじゃないかなぁ、という気がするのです。つまり、これはオペラだと。諸事情あってしっちゃかめっちゃかになってる(よくある)オペラなんだと。だから、あまり難しく考えないようにはしつつも、ちゃんと歌い上げてやらないと、てなもんで。 で、演奏なんですけどね。そういう意味で、いいか悪いかを言うと、というかこれは日本のオケ全般にそうなんだけれど、「演奏」しちゃうんですよね。まぁ、きっと、「いい演奏」だったんだと思いますよ。でも、多分、こういうマーラーの曲って、本当はこうじゃなくて、もっとダサく、田舎芝居的に、歌いまくって演奏した方がいいんじゃないかと思うんですよね。綺麗に整えるんじゃなくて。整えちゃいけないとまでは言わないけれど、それよりももっと大事な、演奏し切る、というようなものが欲しいなと。 いや、こういう演奏の方がいいんでしょうけれどもさ。 メゾの山下牧子が、ちゃんと歌ってて、ある意味浮いてるくらいだったのが、逆に面白く。Urlichtとか、異質だよなぁ、と改めて思ったくらい。それはむしろ褒められるべきじゃないかと思います。実際、いい歌だったし。