今更ながら、音楽祭のあり方について
例によってエントリーが稀であります.....実のところ、GW明けから出張続きだったりで、以前に比べるとコンサートに出向く回数が減っているのは事実なんですけどね。まぁ、月に2回も行くなら十分だろ、という見方もある訳ですが....... とはいえ、夏の終わりから暫く行かないのには、食指が動かないというのもあります。海外行ってますからね。今年もザルツブルクとペーザロに行ってきました。ペーザロは、ロッシーニ・オペラ・フェスティヴァル。 ザルツブルクではオペラは演奏会形式含めて4本。二人のフォスカリ、ヴォツェック、ムツェンスク郡のマクベス夫人、アリオダンテ。実のところ、目玉の人気公演、アイーダだのティトだのが取れなかったからこうなってるんですけどね。とはいえ、この演目、ザルツブルクの面目躍如たるものはあります。 で、このザルツブルク、基本的に、夏の1ヶ月半と復活祭時期の2週間ばかりを除くと、祝祭大劇場や何かはお休み期間です。だから、場内係員のお仕事は、基本的にはこの期間だけ。なんだけれども、これがとてもスマートなんですね、仕事が。的確。説明も誘導も。ただ的確なんじゃなくて、「これはこうでなければいけない」というのが仕事として身に付いてる。それはただのマニュアルではなくて、例えば、演奏会場で、演奏中に優先されるべきは何か、とか、そういうことがきちんと身に付いている。そういう意味で、スマートであり、プロフェッショナル、なんですね。制服もきちっとしてるし。 それはペーザロも同じで、ペーザロの街中の会場はロッシーニ劇場という常設の劇場ではあるけれど、有名どころのオペラハウスのように、毎日のように公演をやっている訳ではない。でも、やっぱりきちんとしてるんですよね、肝心なところは。案内は的確できちんと説明出来る。多分、何をどうすべきかというところが身に付いているんだと思います。 で、やっぱりお客にとって、そういう接客というのは、気持ちがいいんですね。それは、別に、特別扱いされるとかどうとかじゃなく、言ってみれば、安心感があるのですね。会場がちゃんとしてるという安心感。安心感というか、つまらないことを気にしなくても大丈夫だろうな、というような。大事なポイントは外さないだろう、という。 ラ・フォル・ジュルネの会期中にちょっと書いたんだけれども、やっぱり、たかが係員でも、どういうレベルで仕事をしてるか、というのは、あるんですよ。それを非効率といってもいいんだけれども、それなら最初からクラシックなんてやらなきゃいいんですよ。こんな非効率的なもの。 ザルツブルクで観た演目、恐らく今年日本ではほぼ観ることが出来ない作品ばかりです。でも、やる。ペーザロの方は、今年の演目は、コリントの包囲、トルヴァルドとドルリスカ、試金石。これも、今年どころか日本ではやることなんてあるのかという演目。そういう演目をやるのが、ザルツブルク音楽祭やロッシーニ・オペラ・フェスティヴァルの存在意義なんですね。それを維持することに意義がある。その一端を担う仕事である、というのが、スタッフに行き届いているんでしょう。それは、音楽祭のトップから末端に至るまでが、何を目的とするか、理解しているからなんだろうと思います。 ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンが始まった2005年に同時に始まったのが東京のオペラの森音楽祭。今では、東京・春・音楽祭になってますが、正直言うと、残念ながら音楽祭としては、東京・春・音楽祭の方が安定しているように思います。それには無論いろんな理由はあると思うのですが、結局、「なんのためにやっているのか」ということがどれだけしっかりしているか、という差になってしまったような気がします。「オペラの森」は元々小澤征爾にオペラを振らせる為に始めたのだけれど、結局、小澤は途中で降りてしまった。けれども、それでやめなかったんですね。それは結局「やってる側の意志」というのが強かったんだろうと思います。 全く勝手な憶測で書いているのではありますが、結局、ラ・フォル・ジュルネには今「なんのためにやっているのか」が、少なくとも日本側にはとても希薄になっているんだと思います。だから、やることの中身も定まらない。来年は池袋でもやります、といっているけれど、そういう問題ではないような気がするんですよね。安手の目的意識で、自分たちがやっていることの優先順位もままならない、そんな中では到底いいものにはならないし、会場だってスタッフだって所詮仮初めのやっつけ仕事にしかならないんだと思います。 やっぱり国際フォーラムから逃げ出した東京JAZZ、今年は9月の初めに渋谷でやりまして、本公演は行かなかったんだけれども、その日渋谷に寄ったら、街中のちょっとしたスペースを使ってアマチュアのバンド、といっても多種多様なバンドが演奏をしていました。ほんの10分程度づつなんだけれども。数人の管楽器での「ビッグバンド」あり、フィドルのチームあり、和装でギターとヴォーカルで演奏する組あり。それがなんだと言ってしまえばそれまでですが、来年で14回目を迎えるラ・フォル・ジュルネは、一体何をどうしたいんでしょうね。そして、その為には、どういうことをすべきで、その為にはどういう体制をとって、どういうスタッフで、どうやってやるんでしょうね。そういうものがさっぱり分からない、言ってみれば脳みそ不在の自分の頭で考えてるように見えない。そう言ったら言い過ぎなんでしょうかね。 でも、自分達でも、何をやってるのかわかってないんじゃないかなぁ、あれは。もうちょっと、他人の意見を聞いた方がいいと思いますよ。特に、能力無い人は、そうした方がいい。それも、自分の世界の範疇じゃない人に。先達はいっぱいいるんですから。それに、お客さんだってまだまだいっぱいいるんですから。そういう、殻を破ることが出来ない限り、ダメなんじゃないかなぁ。 ま、無責任に言ってるだけですけどね。