第九の話
実は昨日、誘われて、8Kで観る第九というのを観てきました。NHKの8K放送の普及広告みたいなもので、最近のや過去の映像を8Kで見せるというもの。大きいホール、といっても音楽ホールというよりスタジオかイベントスペースみたいなとこで、そういえば、東京国際フォーラムのB7みたいな感じですかね。あれより狭いけど。 で、いろいろやってるそうなのですが、観たのは、バーンスタインがウィーン・フィルを振った、1979年の映像。もちろん観たことあるやつです。クルト・モル、ルネ・コロ、ハンナ・シュヴァルツ、グィネス・ジョーンズで、ウィーンのシュターツオーパーでの演奏。合唱はそうなると当然シュターツオーパーの合唱ということになります。 で、どうだったか? まぁ、なんだね......申し訳ないんだけれど、8Kにしたからって、やはりあの頃のコンサート映像では、いくら精細にしたところで、やはり限界というものがありますわね。皮肉でなくて、バーンスタインの皺の深い顔や飛び散る汗が凄くよく見えるのは確かなんだけれども、如何せん映像それ自体の古さというのは隠し難い。まぁそうだよなぁ、幾らフォーマットが精細になったからって、元の映像の質が変わるというのは別の話だよなぁと。綺麗でノイズは取り除かれてるし、大画面で観ているから、観やすくはなっているのだとは思うのですけれども。 音声の方はというと、リマスターはしているらしいですが、こちらもやはり根本的に変わるという感じではなく。ただ、これは映像もなのですけれども、ノイズの調整とともに、恐らくはダイナミックレンジも調整しているんじゃないかという気はします。ドラスティックではないにせよ、この時代にしては、と思わせるような。 まぁ、テクニカルにはそんな感じでした。うちは今衛星観られない状態で、8K入るなら本腰入れるか、というと、そういう気分でもないなぁと。 それはそれとして。 改めてバーンスタインのをこうやってきちんと見聞きしたのは久し振りなんですが、しかし、これ、たかだか40年ほど前のものなんですよね。で、改めてこうやって聞くと、結構驚かされるところもあり。 まず、発音。やっぱりねぇ、綺麗なんですよね。特に最近はTochterはトホターみたいに発音するとかいうらしいですが、そう歌ってはいないんですよね。トホテルではないにしても。まぁ、トホテァーに近いんですかね。やっぱり、発音の仕方が断然違う。まぁ、発音の話は時期の問題とは違うかも知れないけれども。 そして、やっぱり、ある意味オーソドックスなんですよね。第三楽章はやっぱりAdagio molto e cantabileで始まるし。木管から弦への引き渡しは丁寧でスムーズ。いや、そういうことじゃないんだろうな、多分。 結局、今の古典楽曲に対するアプローチというのは、「オーセンティシティ」というのに目を奪われすぎている気がするのですね。「こうであった筈だ」というのはいいのだけれども、幾ら「こうだった筈だ」と言ってみたところで、今の環境とは違っているのだし、テンポ設定などをあれこれ言ってみても、「正しい」ということと、「音楽的にどうか」ということとはやはり別の問題だと思うのですよね。 ウィーンの国立歌劇場での演奏なのですが、オーケストラはピットを客席と同じかちょっと高いくらいにまで上げて、そこに弦が乗って、舞台の前の方に管が乗って、その後ろに声楽陣が、といったところ。舞台奥は使わず、壁を立てているので、結構狭いんですよね。なので、弦はそこそこ人数はいるけれど横に広がってる。そして、第1ヴァイオリンに指揮者を挟んで相対しているのは、チェロ。はて、どうしてこうなってるのか、オペラでもそうだったかなぁ、というと、あまりよく覚えてないんですが、多分違う.... いや、配置がどうであるべきか、じゃないんですよね。バーンスタインはあくまで「こういう音楽をやろう」と思ってやっている、多分そこに「慣習だから」というような、よく言われるいい加減さはないんですよ。今の指揮者が考えているけれど、当時はあまり考えてなかった、みたいなことはひょっとしてあるのかも知れないけれど、でも、そもそも、こういう音楽をやろう、というのに、今時の演奏が付いて行けているのかね、というと、ちょっとねぇ。基本、生演奏を聞くのを尊んでいるつもりではあるのですけれども、しかし、改めてこういうの聞いてしまうと、今の演奏ってどうなの?とつい思ってしまうところはあります。理屈はともかく、それは面白いのかね、それは面白いんだ、と主張出来るほどに真剣にやってるのかね、と、意地悪いと思わなくもないけれど、思ってしまうのではあります。 まぁ、それでも聞きには行くんだけれどもね。