2/11 仲道郁代&西村悟
横浜市緑区民文化センター みどりアートパークホール 15:00〜 右手 ベートーヴェン:「遙かなる恋人に寄す」op.98 ピアノソナタ第28番 イ長調 op.101 シューベルト:美しき水車屋の娘 op.25 D.795 ピアノ:仲道郁代 テノール:西村悟 青葉台のフィリアホール、あれは青葉区民文化センターになるのですが、これが去年の4月からこの4月まで工事中ということで、フィリアホールの主催で長津田のここでの開催、という態。 この組み合わせは、以前シューマン・シリーズで詩人の恋をやったそうで、今回のこの企画、だそうですが.........しかし、まぁ。 普通、水車屋だけでリサイタルを組むものです。それだけでも十分な分量。まぁ、冬の旅に比べると幾分軽いですが、他と組ませることは殆どないし、アンコールだってやらないのが普通。それをリサイタルの後半に組んで、前半にベートーヴェンの「遙かなる恋人に寄す」と、28番とはいえソナタを一曲....そりゃ無茶じゃないのか、と思ったら、仲道郁代自身が「普通、やらない。まずピアニストが嫌がる」ええ、そうでしょうとも。 で、どうだったか?まず、水車屋最後までやり切りました。その意味でこのプログラムで失敗はしませんでした。まぁ、個人的には後半だけでよかったし、後半の方が分かる内容だし。演奏も良かったし。 なので、水車屋から。 率直に、というか、偉そうに言って申し訳ないけれど、率直に言いますと、私の好みではない。いい歌唱だと思います。勿論伴奏もよし。唯一気になるとすれば、時々語尾の子音がはっきりしないことがあり。それは少し気になりますが、歌い切らずに抜く、というのとは違うので、まぁ、そこまででは。あと、若干、たとえば Wandern のwがfに近くなっちゃうかな、とか、dernのerの処理が不安定かな?とか思わないでもないですが。言い換えるとそんな重箱の隅突っつくような話でしかない。基本的には、歌としてちゃんとしていたと思います。ベートーヴェン歌ってからのこれですが、それを割り引かなくてもちゃんとしてました。 ただ、好みではない。というか........そうねぇ。若いなぁ、というところかなと。 18曲めの「しぼめる花」。これはこの曲集の白眉と言っていいと思うのですが、この最後の節。私は、ここは、heraus, heraus の方にこそ想いがこもると思っているのですね。楽譜上は、言えば、その後のder Mai ist kommen, der Winter ist aus の方にはアクセント記号もあるし、伴奏の方はクレッシェンドしていく。でも、heraus、というのは、命令形なんですね。だから、明らかに叙述ではなくて、呼び掛けなんです。彼女が私が誠実だった、と思い起こした時、その時こそ花たちよ咲き誇れ。その時こそ5月 - 春の象徴的な言い方ですね - が来たのだ、冬は終わったのだ。という、咲き誇れ、というのを命令形で繰り返す。こここそが一番言いたいことではないのかな、と思うのですよ。後段の方が理屈ではあるのですけれどもね。でも、端的に言いたいのはそっちではないかな、とか。この辺は解釈の問題ですが。 最終曲の「小川の子守唄」は、もう少し表現があってもいいかな、と。一番最後、多くの歌い手はリタルダントしたりするのですけれども、確かに楽譜上はそうはなっていない。だから、淡々と最後まで進めるのはむしろ正しいし、考えようによっては、むしろ子守唄なのだから、この行き方の方が正しいのかも知れない。そういう意味では勉強になりました。いや、そういう意味では、正しいとか正しくないの次元ではないんですよね。そういうレベルだったと思います。 ただ......若い、かなぁ。元々歌い手以上に若い青年が恐らくは主人公の設定だと思うので、その意味では「若い」というのも妙なのですが........... いや、良かったと思いますよ。 伴奏は勿論言うまでもなく。強いて言えば、やや抑え気味でしたでしょうか。確かにあまりピアノが主張する余地は多くないし、無理に主張するとバランスは崩れますから、これはこれでいいと思うんですけれども。 一方、前半のベートーヴェンは......正直、よく分からなかったかな、と言うのが本音です。 いや、「遙かなる恋人によす」って、あまり聞いてないんです。ちょっとよく分からなくて。演奏会後のトークで出演者の二人が「ベートーヴェンは声を楽器として扱う」みたいな話をしていて、その通りだと思うのですが、言い換えると歌としてちょっとつまらないんですよね。歌としては、やっぱり圧倒的にシューベルトの方が聞いても歌っても面白い。選んだ詩も、まぁ、そう言っちゃなんですが、ええかっこしいだし。 加えて、ソナタは28番。op.101。正直、渋いです。「熱情」や「告別」と「ハンマークラヴィーア」の間に挟まれて、それなりに聞く機会はあるのだけれど、しかし、渋い。この演奏が、なんというか、決然としたものとでもいうか。シューベルトの世界とは全く違う世界ですね。いい悪いではなく。これは「遙かなる恋人によす」とも通じます。決然とした歌。いや、そもそもそういう歌なんだと思うんですよ、これ。確かに、なんというか、まぁそういう恋心を歌っているのだろうとは思うけれど、それにしてもなんというか、理性的なんですよね。こっちも一応悲恋の筈なのだけれども、そうですね、激情はないなぁ、と。シューベルトなんてそればっかりなんだけれども。でも、歌としてはそっちの方がいいですよね。音楽的にはベートーヴェンなのかも知れないけれども。 そういう意味ではよく捉えるべきを捉えた演奏なのだと思います。もうちょっと、それにしても、ピアノは歌ってくれていいかなとは思わないでもなかったですけれども。