4/21 東京交響楽団 (第95回川崎定期 2024年4月)
ミューザ川崎シンフォニーホール 14:00〜 2階左側 ラウタヴァーラ:カントゥス・アルクティクス op.61 サーリアホ:サーリコスキ歌曲集 シベリウス:交響詩「ルオンノタル」op.70 ドヴォルザーク:交響曲第8番 ト長調 op.88 ソプラノ:アヌ・コムシ 東京交響楽団 指揮:サカリ・オラモ 東京交響楽団......ねぇ........昔、一時定期会員になっていたこともありましたが、今はそういうのはやっておりません。時々気が向いたら聞くくらい。やっぱりね、言うほどうまいと思わないのと、企画ものでの客筋があまり宜しくなくてね........じゃぁ、なんで聞きに行くのさ、というと、まぁ定点観測みたいなものです。加えて、時々やすいチケットが出たりするので。今回もそのパターン。実は4月は元々買ってなかった上に、忙しかったり風邪引いたりで、これが当月初コンサート。 安チケットが出るのも当たり前で、行ってみたら3階はガラガラと言いたくなる状態。例によってピット席というか、舞台裏席は埋まっているのだけれど、これだと3階4階はどれほど入っているものやら。というか、これ、一応定期公演という名目なんですが、これ買ってる会員が、特に安いとこ買ってる会員がどれだけいるのかと.......そういや、プログラムに書いてあったけれど、2026年を以てジョナサン・ノットがついに退任すると。驚いたのは、ノットが12シーズンやってるんだそうで、え、そんなに?という。スダーンが退いてもうそんなになるのか.....とはいえ、率直に言うと、そう感じる一端は、その間東響が何してるのかよく分からない、というのはあります。確かにノットはあれやこれや企画ものはしたのだろうけれど、別にオーケストラとしてどうともなっていないというかね......スダーンが始めたモーツァルトマチネも、やるのはいいけどそれが何に繋がってるのか、時々聞く限りではよくわかんないし..... フィンランド出身のサカリ・オラモということで、フィンランドの作曲家の作品とドヴォルザークというプロ。前半はラウタヴァーラから。カントゥス・アルクティクス、副題としては「鳥とオーケストラのための協奏曲」なんだそうですが、まぁ、一言で言うと、感心しない。気に入らない、と言った方がいいかなと。 これ、作曲者自身が録音したフィンランドの湿地帯での鳥の声を音源としているらしいのですが、それをあるがままでなくて、編集して「演奏」しているのだそうで。いや、いいよ?でも、それって、「鳥」じゃなくて「鳥の声を人間が録音して編集したもの」だよね。それって、所詮人間の手になるもの、だよね。自然じゃないよね。 なんかこういうのって、自然と対峙してみました的なペラい感じしかしないんですよね。別に録音したって構わないけど、それならそれで、あるがままの自然音と対峙するべきじゃないだろうか。ちょっとエキセントリックに過ぎると言われるかも知れないけれど、でも、そういう対峙をさせたいなら、人間に都合のいい音に改変するべきではないと思うのですよ。所詮自然をちょいと借りて純然たる人工物じゃないですよってフリをしてるだけだろうと。意識的にやってるなら底が浅いし無意識的にやってるなら考えが足りない。ペラいというのはそういうこと。 いや、まぁ、作っちゃうのは仕方ないけど、取り上げるなよ、恥ずかしい、というね。 というわけでこれは演奏がいい悪い以前の問題。まぁ、東響の悪いところが出たというか。東響、現代音楽を積極的に取り上げるのは悪くないと思うんですが、取り上げる方も聞いてる方も考えが浅いというか......私の大嫌いな「意義深い」系がわんさか出てくるんですよね。新しくてもダメなものはダメなの。まぁ、これは1970年代の作品らしいので、もう50年前ということで、大して新しくはないし、それなりに受け入れられているのかも知れないけれど、これで自然とかちゃんちゃらおかしいや、ってなもんでね。 正直、これで、かなりガッカリ感が増したのは事実です。 続いてはサーリアホのサーリコスキ歌曲集。へー。(ハナクソホジホジ) なんとも言いようがないですね。2020年の作品だそうで、正直フィン語もわからないので、なんとも言いようがなく。独唱のアヌ・コムシという人は知らない人ですが、歌い方がどうといっても、そもそも結構特殊な音楽になってしまっているので、はぁ、そうですか.......としか言いようがない。ええ、はっきり言えば私にはよく分かりませんでした。独特の歌い方なのはよく分かるし、でも、それが導いているものが結局なんなのか、と言われると.......よく分かりませんでした。 それに比べると、後半最初のシベリウスのルオンノタルは、まだしも歌曲らしい歌曲といいましょうか。歌曲?ええ、交響詩となっていますが、これはどちらかと言えば管弦楽伴奏歌曲。1900年頃の作品ですが、マーラーやレーガーやベルクの歌曲を知ってしまっている身としては、格別珍しくはない。珍しくはないけれど、これも、やっぱりよくわからない.......サーリアホのわからないとはちょっと違って、どういう音楽か、まぁ、わからなくはないのだけれど、なんでそんなに落ち込んでるのよ......何が言いたいんだよ........というような、ですね。そもそも元になってるテクスト自体がカレワラ由来なので、つまりは神話みたいなものですからね。加えてこの曲シベリウスがいわば「暗黒期」に書かれたものだとかなんとか。まぁ、なんというか、よくわからないというか.......ちょっと覗き込んじゃいけないところを覗いてしまったみたいなもんなんでしょうかね....... 最後は、形としてはメインのドヴォルザークの8番。これがねぇ...... まぁ、正直、ここまでこんな感じですからね。かなり落ちてるんですよ。こっちも。 で、冒頭。低弦の合奏で始まる。これがとても良かった。締まった音で、でも、決して硬くない。問題は、これが数秒しか続かない。何故か。ヴァイオリンがね、ガッチガチなんですよ.......もう、これが全て。後がそれほど酷いわけではないですよ。でも、あのガチガチのヴァイオリン聞かされると、もうゲンナリしちゃってねぇ...................なんか、途中、オラモがメチャクチャスピード上げて演奏してたのは、あれは、もともと皆リタルダントするところ、そのままのテンポで突入したのかな?覚えてるのはそれくらい。悪くないんだろうけど、そういうヴァイオリン聞きたいわけじゃないんだよ、というね......... まぁ、そんな感じでした。全体に悪いとは言わないのだろうけれど、やっぱり東響は、無理して聞かなくてもいいな。