6/23 東フィル (第1000回オーチャード定期 2024年6月)
オーチャードホール 15:00〜 3階正面 メシアン:トゥーランガリラ交響曲 ピアノ:務川慧悟 オンド・マルトノ:原田節 東京フィルハーモニー交響楽団 指揮:チョン・ミュンフン 実は終わってホールを出てから「ああ、そうなのか」と気付いたのですが、記念すべきというのか、東フィルの第1000回の定期公演。今回の演目は、それを記念するという意味もあっての大作の起用、ということなんでしょうかね。 割と冷淡なのは、そもそも東フィルの定期公演は、今ならオーチャードとサントリーがあって、第1000回というのはその合計。恐らくはこの二つのホールが出来る前の定期からの通算で、実はその他にオペラシティの定期公演があって、これは別カウント。オペラシティの方は今回で162回目ということで...... そう。オーチャードとサントリーとオペラシティは、今月は同じ演目。というか最近は概ねこの3か所で同じ演目でやりますね。たとえばN響の定期公演のカウントは、A・B・Cプロそれぞれ2公演づつやって、各々違う演目。それで、AプロならAプロ2日分で「1回の定期公演」というカウント。この辺はオケによってまちまちで、定期公演のやり方、カウントの仕方はそれぞれなので、まぁ、いいんですけどね。節目といえば節目だけれど、それほど大騒ぎしてなかったしね。ただ、そういえば、入場時に記念の絵葉書はもらったなぁ。 そういうわけで大曲のトゥーランガリラ交響曲なのでしょう。なんかプログラムによると、サンスクリット語のトゥランとガリーラという二つの言葉を....と書き出してよく見たらトゥランガとリーラの2つ、だそうです。 知らんがな。いやまぁいいんだけどね。まぁ、そういう二つの言葉を連ねての題名だそうで。その辺はなんとなく知ってるけれどもね。 実際、この曲、聞くのは初めてかも知れません。録音を聞いたことはあるんですけれどもね。生演奏は初めて。 場内はまぁまぁの入りと言っていいと思いますが、客層的には、N響の千人風呂の時の客層と被る感じと、それ以上に韓国系と思しき方々が多数。チョン・ミュンフンの時は割と多いなと思っていますが、今回は特に目立ちました。この辺はおらが国の名指揮者を聞きに来た、という感じでしょうか。韓国系と思しき、となんで言えるかというと、明らかに日本語でも中国語でもない、ハングルの響きに似てるな、という言葉で話している人たちだから。多分、インバウンドなんじゃないかしら。日本在住でハングルで会話している人もいるのかもですが、まぁ、そんな感じ。率直に言って、千人風呂と同系のお客よりは、目当てが明確で、個人的にはよっぽど好感持てますけどね。同族嫌悪と言われようとも、意義深い系のお客は好きではない。 で、本編ですが。 いやぁ、音でかいですねぇ。特に最後。いや、本当に、少なくとも私は今までクラシックのコンサートであそこまで音圧を伴って大きい音に襲われたのは初めてです。まぁ、確かに、オンド・マルトノが入ってるので、PAは入ってる訳ですがね。ただ、それにしても、ああいう音圧は初めて。 それだけ?うーん。まぁ、それだけ、に近いかなぁ。正直、私はそこまで楽曲分析を聞きながらやるようなことは出来ないし、そんなに知ってる曲ではないので、良し悪しはそんなに言えないのですが、まぁ、不思議な響きであるのは確かですね。でも、それ以上に、とにかく音が大きい。CDで聞く限り、こんな音を想定して聞いてないんですよね。これは不明であった。ただ、その印象が強すぎて、かつ、響きの奇妙さが次に目立って、これがいいのかどうなのか、正直あんまりよく分かってないと思います。オーケストラの大きさをあまり言ってもしょうがないですが、コントラバスの数から見るに、多分弦五部は16-14-12-10-8。そこそこ大きいとは思います。ただ、在京ではNHKホールと東京文化会館の次にホールの空間があるオーチャードで、比喩でなく音圧で満たしてしまうような音ではありました。その音でありながら、嫌な音を感じさせなかったのは結構だったと思います。ただ、まぁ、うるさすぎてそこまで聞き取れてなかったかもですが。 まぁ、音楽としては、じゃぁ、それ以上魅了されたかというと........ 響きとして言えば、確かに新鮮なものではあると思います。ただ、この曲が初演された1950年頃には、オンド・マルトノの出すこんな珍妙な響きは聞き慣れなかったし、そういう意味ではすごく目新しかったと思います。こっちは毎日のようにせいぜいロマン派までの音楽をせっせと聞いてるから、そういう意味では確かに新鮮で破壊的でアグレッシヴで、となるのかもですが、でも、2024年の時点で聞くと、クラシック音楽の20世紀後半の作曲家・メシアンの交響曲、としては斬新に響きますが、純粋にサウンドとして考えると、うーん。同じ土俵で評価されることを目指していない、と考えれば、尚のこと。むしろ今時の、基本調性音楽の延長線上でしかない、ポップなロックと比較すると、奇妙ではあるが新しくはない。無論、どっちが先か?と考えると......でも、1950年って、もうエレキが始まってる時期ではあるしね...... そういう意味では、音圧としても、今のポップスのコンサートだと、このくらいの音圧、空間圧というのは、それほど珍しくはないのかも知れないと思います。私は殆どそういうの行かないけども、でも、数回は聞いたことがある感じで言えば、サウンド的にはそんなもんじゃないかな。 難しいですけどね。クラシックの枠内で考えるのか、枠を外すのか。でも、厳しいようだけれど、メシアンの狙いはどこにあったんだろうな、とは思います。どちらかというと枠を外す方が本来の趣旨に近い気もするし、となると、うーん......やっぱり............ サウンドの問題というのは、時代という問題とも技術的にも関係するので、難しいと思うんですけどね。ただ、個人的なことを言えば、ああ、こんな音で鳴らすものだったのか、というのを改めて知ったという意味では、勉強にはなりました。 オルガンも、同じようによく勘違いするんですけどね。特にサン=サーンスの「オルガン付き」とか、実際に聞くと結構「え!」と思うことはあります。まぁ、この曲の場合、正直自分としては遥かにその上をいく勘違いだったので、正直驚いたんですけれどもね。 まぁ、それだけ、って書きましたけど、個人的にはそれだけだけどその「それだけ」がデカかった、ってところでしょうか。いや実音的に、じゃなくて、経験的に、ですよ。