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2008年12月28日のハリウッドスタジオ。昨日載せた写真はStreets of Americaのニューヨークのイメージで、もう一方のサンフランシスコ側はこんな感じでした。奥に見える坂道も、ゴールデンゲートブリッジも、近くに寄って見ると壁に描かれた一枚の大きな絵でした。でもサンフランシスコらしさは十分に出ていて、しばし西海岸の雰囲気に浸ることができました。とはいえ、歩いている人たちの格好が「真夏」なので、アリバイ写真には使えませんけどね、もちろん…私も朝晩だけはパーカーを着ましたが、日中は、この写真に写っている人たちのように、半そでシャツと短いパンツで過ごしました。とっても楽でした。
January 25, 2009
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ディズニーワールドの二日目。2008年12月28日のハリウッドスタジオです。エクストリームスタントショーを出ると、アメリカの街中を歩いている気分になれる場所がありました。Streets of America。一本の通りがニューヨークで、もう一本がサンフランシスコ、だと思います。そして、この写真はニューヨーク、だと思います…入場料はかかるけど、パーク内は安全。クリスマスホリディを過ごす家族にとっては絶好の場所なのでしょう。朝は静かだったパーク内も、お昼が近づくにつれて、どんどん人が増えてきました。
January 24, 2009
ディズニーワールドにはエキストラマジックアワーという、とてもありがたいシステムがありました。オフィシャルホテルの宿泊者は開園時間より1時間早く入場できるというもの。2008年12月28日(日)の対象パークはハリウッドスタジオだったので、7時の開場に間に合うように、ホテルを6時過ぎに出発しました。ホテル(ドルフィン)からハリウッドスタジオまではゆっくり歩いても20分、と聞いてはいたのですが、朝の6時過ぎはまだ暗闇。どの方向に歩けば良いかもわからなかったので、ジーッとボートを待ちました。7時に入場したパークは、見事に空いていました。朝イチの時間帯を含め、タワーオブテラーとロックンロールコースターに、この日2回づつ乗ることができたので、かなり満足しました。この写真は、エクストリームスタントショーの観客席にて。いかにもアメリカっぽいカースタントのショーでした。二台見える白いトレーラーの上を車が飛び越えたりして、二千人を超えるかとも思われる観客はそれはそれは大喜び…余談ですが、写真の左の方に見えるのが、ハリウッドスタジオのシンボル(ミッキーの帽子)、そして、その更に左側がタワーオブテラーです。天気が良くて、あったかくて、良い気分でした。
January 23, 2009
2008年12月27日。夜のマジックキングダムです。ホテルに戻るために入場ゲートに向かう途中、クリスマスのデコレーションがきれいだったので、Main Street, USAで撮りました。夜なのに、パーク内の人は減るどころか、ゲートからはどんどん人が入ってきていました。「もう閉園時間じゃないの?」と思ったら、この日の開園時間は翌午前1時まで。ナルホド…皆さん「夜通し遊んだるゼェ!」と言わんばかりの勢いで、パーク内は“とても騒がしい暗闇”でした。タフですねぇ。
January 22, 2009
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2008年12月27日のマジックキングダム。いよいよ日が暮れて、シンデレラ城はこんな感じになりました。成田空港から始まった長い一日が終わってしまいました。パーク内にはまだまだたくさんの人がいましたが、明日に備えてそろそろ帰途につくことにしました。
January 21, 2009
2008年12月27日のマジックキングダム。夕方になると、シンデレラ城はこんな感じになってきました。フロリダ在住の方に伺ったところでは、観光のベストシーズンは11月から2月くらいなのだそうです。逆に夏は高温多湿で、雨と虫に悩まされることが多いのだとか。そういう意味では良いタイミングで行けて良かったのですが、ちょっと日が短いのがこの季節の難点ですね。日が暮れると、一日が終わっちゃったなぁ、と、少々寂しくなりました。そういえば、夜が明けるのも7時くらいでした。
January 20, 2009
2008年12月27日の夕方。ホテル(WDWドルフィン)からバスに乗ってマジック・キングダムに行きました。ホテルのバス停には時刻表はありません。ですが、滞在中、長くても15分くらい待っていると、目的の行き先のバスがやってきました。それぞれのバスには「Animal Kingdam」、「Magic Kingdam」、「Downtown Disney」などと大きく書いてあるので、私たち初心者でも間違うことはありませんでした。バスはガガーッと、かなりのスピードで走り続けて、マジック・キングダムまではおよそ10分。やっぱりディズニーワールドは広い、と感じました。入場ゲートでは右手の人差し指をラッチに付けてから通過。指紋認証を採用しているようでした。明るいうちに入場できて、まずは旅行初日の目標を達成できました。
January 19, 2009
2008年12月27日。午後2時過ぎにオーランド国際空港に到着しました。到着後、手荷物を受け取る前にモノレールに乗って、思ったより長い距離を移動しました。で、ロビーに到着したらスーツケースが既にターンテーブルを回っていたので、妙な気分でした。どれだけ猛スピードで運ばれてきたのでしょうか?手荷物をピクアップした後、現地旅行会社さんのワゴンでホテルまで移動しました。ホテルまでフリーウェイで約30分。車窓に流れる風景は「夏」。成田もワシントンDCも冬の風景だったので、身体も気持ちも一気に緩みました。部屋に荷物を置いて、冬服から夏服に着替えたあと、すぐにホテルエントランス脇にあるバス乗り場へ向かいました。写真は、バス停から撮った「ウォルトディズニーワールド ドルフィン」エントランスの写真です。青空が懐かしい。
January 18, 2009
最後まで自分が信じる「男道(おとこみち)」を貫いて引退した清原和博が、真実の姿を初めてさらした自叙伝。ドラフト当日に起きた出来事、野茂・伊良部らとの特別な戦い、盟友・桑田真澄への揺れる感情、巨人への愛憎、故仰木彬氏が残した知られざる花道、例のない左膝の大手術と地獄のリハビリ。そして、最後の一振りに賭けた思い──。「番長」という仮面の裏に隠された、誰も知らない清原和博の素顔がここにある。(楽天ブックスより)今月、幻冬舎から発売された清原和博選手の自叙伝。「男道」 やはりこのタイトルでしたね。清原選手といえば、PL学園時代の打撃が、今も強烈に記憶に残っています。力みのない構えから、スッとバットが出て、長い時間ボールをバットに乗せたかと思うと、あっという間にレフトスタンドに放り込んでしまう…。怪物の名をほしいままにした高校時代でした。プロに入ってからも十分に活躍をして、客を呼べる選手でありつづけてくれましたが、年々、力任せのバッティングになってきたことは、ずーっと気になっていました。あんまり「男」とか「力」にこだわらなければ、もっと活躍できたかもしれない。記憶にも記録にも残る選手になったかもしれないと、少し残念な気持ちもあります。とはいえ、長い現役生活、お疲れさまでした。
January 17, 2009
今年、ニューヨーク・ヤンキースから楽天に入団するダレル・ラズナー投手の記事を見つけました。少し前の記事ですが、2008年11月16日のニューヨークタイムス(HP)に載っていました。その記事によれば…(概略です)ラズナー投手は、奥さんと息子さんと、もうすぐ生まれてくる赤ちゃんの生活のために日本行きを希望した。日本に来れば大リーグ選手の最低年俸のおよそ3倍を手にすることができる。その一方で、来年もヤンキースに留まって、仮に3Aで暮らすことになれば、今回のような高額のオファーを受けるチャンスも失ってしまう。ラズナー投手にとって何よりも大切なのは家族。28歳とすでにベテランの域にきている彼にとっては無理のない決断だったかもしれない。という理由のようです。もちろんヤンキースの一員だったことを誇りに思っている。チームのためにもっと良い成績(今年は5勝10敗。防御率5.40)があげられたら事情は違っていたかもしれない。 とも話しています。本音として、日本行きは苦渋の決断だったのでしょう。ラズナー投手は敗戦の後でも、取材に丁寧に応対することでマスコミの評価が高かったとも書いてありました。すべてひっくるめて気に入りました!ぜひ、楽天で投げまくって、そして30勝くらい勝ちまくって、3年たったら破格の年俸でヤンキースに凱旋してもらいたい!!彼の家族のためにも、今年はラズナー投手を思い切り応援したいと思っています。
January 14, 2009
2008年12月27日。ワシントンDC・ダレス国際空港の搭乗口の様子です。クリスマス休暇中ということで、オーランド行きは満席。搭乗口も人と大きな手荷物で混み合っていました。人によって冬服だったり夏服だったり。これがDC発オーランド行きらしさですね。搭乗開始の15分ほど前に昼食から戻ったら、待合のシートは満杯。東部の経験はほとんどないのですが、アメリカの空港で、座る場所が見つけられたいという経験は初めてだと思います。チケットの確認などをしながら待っていたら、搭乗は定時に始まりました。以前は「○列目から□列目までの搭乗を開始します」とアナウンスされていたので聞き間違いがしばしばあったのですが、今回はチケットに書いてある「ゾーン番号」でアナウンスされていたので楽でした。オーランドまでの飛行時間は約2時間。空港で食べたハンバーガーでお腹いっぱいだったので、機内ではほとんど寝てました。移動中に寝られれば、旅は楽ですね。やっぱり。
January 12, 2009
2008年12月27日の朝9時半ころ、飛行機はワシントン・ダレス国際空港に到着しました。ワシントンDCが目的地の人と、国内線に乗り換える人は、飛行機を降りてすぐにお別れ。私たちはトランジット用のドアをとおり、巨大なバス(雪上車のような乗り物)に乗り込みました。このバスで、入国手続き、手荷物受け取り、手荷物の再チェックインを行うターミナルビルへ移動しました。乗り継ぎ専用のせいか、入国審査の窓口は空いていました。「フロリダには何日間いるの?」⇒「五泊します」「食べ物は持ち込んでない?」⇒「持ち込んでいません」入国審査はこの程度のやりとりだけで、家族全員ひとまとまりで通過できました。そのあと、ターンテーブルからスーツケースを受け取って、税関を通過。「あなたたちは家族?」⇒「そうです」会話はさらにシンプルでした。税関を通過の後、スーツケースをベルトコンベアーの前にいたお兄さん二人に渡し、入国関係の手続きは終了。国内線の搭乗口へと向かいました。オーランド行きユナイテッド1561便の出発時間は12時18分。機内では飲み物のサービスのみとのことだったので、搭乗口近くのウェンディーズでハンバーガーを食べました。久しぶりに米ドルを使っての買い物ということもあり、レジでは結構オタオタしました。25セントと10セントを左ポケットに、5セントと1セントを右ポケットに入れておくと、スムーズに小銭を使える、というのが昔からの私の作戦なのですが、この時はまったく効果なし。結局大きなお札で支払ったので、ポケットの中はさらにジャラジャラになってしまいました。
January 11, 2009
映画を2本観終わり、いい加減に眠らないと、到着してからが大変だ。とは知りつつも、眠れないのだから仕方がありません。空気が乾燥した機内で、だんだん身体がボワーンとしてきましたが、3本目の映画をスイッチ・オン。タイトルは「チャンス -Being There-」(1979年・アメリカ)「長年あるお屋敷に仕える庭師のチャンス。主人の死をきっかけに放り出された彼は、ふとしたことで財界の大物を夫に持つ美しい女性と知り合い......。政治やマスコミへの風刺が効いた名作。 」(楽天ブックスの解説より)ピンクパンサーのピーター・セラーズが主演で、コメディに分類されていますが、爆笑ではなく、終始、クスクスと笑える映画でした。それよりも、観終わったときに、ほんわかと幸せな気分に満たされました。具体的には何の役にも立たないけれど、欲望も悪意のかけらもないひとりの男がそばにいるだけで幸せになれる。Being There という言葉が静かに心に沁みる映画でした。
January 10, 2009
映画を一本観おわっても眠気は訪れず…二本目を観る事にしました。タイトルは「Swing Vote」(2008年)主演はケビン・コスナー。ニューメキシコ州に住むだらしのないシングルファーザーを演じていました。アメリカ大統領選挙が激戦を極め、開票の結果、なんと、両候補の獲得票数が同数となった。その結果、投票所のトラブルで無効となっていたケビンが数日後に投じる一票で大統領が決まることになった。いなか町の一人の失業者(コスナー)をあの手この手で接待する両大統領候補…というコメディ映画でした。耳慣らしを兼ねて、機内での映画はすべて英語で観ていたので、恥ずかしながら要所要所でストーリーが不明に… 英語力よりも想像力が鍛えられましたでもアメリカ映画は展開がはっきりしているので、ほぼ大丈夫。十分楽しめました。 飛行機は、引き続き、夜の空を飛び続けていました。
飛行機の中で眠れれば旅も楽なのでしょうが、私は移動中に寝るのがとても下手です。ということで、機内では映画を観て過ごしました。最初に見たのは 「ボトル・ショック」(2008年)。1976年のパリ・テイスティングで、フランスのワイン専門家8人が、フランスのワインとカリフォルニアのワインをブラインドでテイスティング。その結果、カリフォルニアワイン 「シャトー・モンテリーナのシャルドネ1973」 が1位になり、カリフォルニアワインの名声が一気に世界に広まったという実話を基にした映画でした。カリフォルニア・ナパバレーの風景が美しく映し出されていました。ストーリーは、まさにアメリカ映画。フランスワインやフランスのワイン専門家が悪役もどきに描かれ、それをアメリカ産のワインが見事に撃破する、という作りでした。個人的には、ナパバレーの人たちが、どのような努力をして、その結果、フランスワインに勝るとも劣らないワインを作り出したのか、そのあたりが丁寧に描かれていればもっと良かったと感じました。フランスワインを「やっつけた」、というよりも、「あの素晴らしいフランスワインに肩を並べ、フランスの専門家をうならせた」というイメージですね、期待したのは。でも、これだとまるで 「プロジェクトX」 でしょうか。 飛行機は相変わらず夜の空を飛び続けていました。
January 7, 2009
成田からワシントンDCへの空の旅は約12時間。その大部分が夜間飛行でした。ようやく明るくなってきたとき、飛行機はすでにアメリカ大陸の上を飛んでいました。眼下には雲のじゅうたんがどこまでも…結局、着陸直前までこんな感じでした。ちなみに、離陸直後と着陸前はデジカメを含む電子機器は使用不可。ということで着陸前後の写真は取れなかったのが残念でした。
January 6, 2009
12月27日の成田空港。とりあえずの行き先はアメリカの首都、ワシントンD.C.です。最終目的地はあったかいところなので、分厚いコートを成田に置いていくかどうか迷いました。でも、ワシントンDCは今、真冬…。乗り継ぎの国内線(ユナイテッド)が確実に飛ぶ保証はないので、結局、モコモコの姿で機中の人になりました。エコノミークラスの座席が一層せまく感じました。
January 5, 2009
12月27日。朝の成田空港第1ターミナルです。年末ということで、ツアーのチェックインカウンターはどこも混雑していました。この日、出国までの手続きで一番時間がかかったのは手荷物検査でした。出発ロビーには長蛇の列ができていたので、最後尾に並んだときは少しあせりました。手荷物検査場がボトルネックとなっていたため、出国審査手続きは並ぶこともなく通過。結局、搭乗口には十分な余裕をもって着くことができました。
January 4, 2009
あけましておめでとうございます。今年の年末年始はアメリカへ行ってきました。わが家としては(特に費用的に)大チャレンジでしたが、行けてよかったです。夏からじぃぃぃーっとキャンセル待ちを続けた甲斐がありました。ところで、アメリカ国内で経由したワシントンDCとシカゴの空港の売店には、オバマ次期大統領がプリントされたTシャツや特集雑誌がたくさん並んでいて、オバマ氏への期待の高さが伺えました。せっかくなので、私もシカゴの空港でTシャツ(上の写真)を一枚買いました。
January 3, 2009