会津藩校 日新館
“ならぬものはならぬものです”
と、会津の子供たちは教え込まれて育ったそうです。
そして、会津藩は敗色濃厚とわかっていながら、藩主の教えに従って徳川幕府への忠義を尽くし、薩摩や長州などやがて明治政府を形作る勢力と戦ったのでした。
潔くてかっこいい、とも思えるけど、会津藩の人たちのその後を考えると、愚直であることがリーダーとして良いことなのか疑問にも思う。
そして、“年長者の言うことに背いてはなりませぬ”に始まり、“ならぬものは…”で終わる日新館の「什の掟」を改めて読んでみる。
「“ならぬ”とは誰が決めるのか?」
「そもそも何が“ならぬもの”なのか?」
当時、そういう疑問を持つ人はいなかったのだろうか。
親の都合を体よく押し付けてんじゃねーよ、とか言う若者はいなかったのだろうか。
会津若松市郊外にある日新館はいろいろ考えさせてくれるスポットでした。