「そして、バトンは渡された」瀬尾まいこ(文藝春秋)【感想】
JR駅の東口にある珈琲チェーン店の片隅で、瀬尾まいこさんの小説を今、読み終えた。カフェで本を読むひと時が僕は大好きで、だから今も至福の時を過ごしているのだけど、「そして、バトンは渡された」は時折うっかり泣きそうになって危なかった。静かに勉強する学生さんの右隣で文庫本を手に涙ぐむおじさんの姿は絵になるだろうか…ピアノを上手に弾ける人は格好良い。そんなことも思いながら読んでいた。そういう人になりたくて20代後半だった僕が十数万円の電子ピアノを散々迷いながら買ったことも思い出した。一緒に初心者用の教本とビリージョエルの楽譜も買って、自在に弾きこなしている自分を夢見ていた。この夢は夢のまま電子ピアノはその後生まれてきたわが子のものになり、ヤマハ音楽教室の発表会で弾く曲を練習してみたら、鍵盤の数が本物のピアノより少ないことがわかってびっくりした、そして少し恥ずかしかった、ということも思い出した。親になると明日が2つになる、と瀬尾さんは書いていた。こんな言い方はこれまで思い付きもしなかったけど、本当にその通りだと思ったし、子どもが産まれてから僕もずっとそれを感じていたんだな、と今さらながら気が付いた。瀬尾さんのさらさら流れるような文章にはところどころに、しかもここぞ、というところに、譲れない思いや熱い思いや信念みたいなものが埋まっている。今日、この小説に出会えて良かった。おいしい料理が作れる人になりたいし、瀬尾さんのような小説が書ける人になりたい…。巻末の上白石萌音さんの言葉を読み終えて、静かに文庫本を閉じて、それを丸いテーブルの上に置きながら、僕はそう思った。