「ノルウェイの森」村上春樹(講談社)【感想】
1冊目は鮮やかな赤。2冊目は鮮やかな緑。そしてタイトルには北欧の国の名前があるから何となくクリスマスをイメージするけど、ご承知のとおりそのようなストーリーではない。登場人物がノルウェーに行くこともない。全編にビートルズの「ノルウェイの森」が流れている、それがタイトルの理由だと思う。たぶん間違いなく。ちょっと気だるくて淡々とした、あの有名な♪Nowegian Wood♪は確かにこの小説に良く似合う。僕にはビートルズが「私の部屋にはノルウェーの木を使ってるの。素敵でしょ。」と歌っているように聴こえるけど、「ノルウェーの木」とか「ノルウェー産の木材」は詩的じゃないから、「ノルウェイの森」で良いのだ、とも思う。先日、村上春樹さん原作の映画「ドライブ・マイ・カー」を観て、じんわり感動しながら家に帰って、その余韻で本棚から「ノルウェイの森」の上下巻を取り出した。巻末には「1987年10月12日 第3刷発行 定価1,000円」とあった。バブル景気が最高潮だった1980年代後半にこの小説は書かれ、世に出た、ということになる。あの頃は、白ワイシャツを腕まくりしたおじさんたちが忙しさを競い合い、誇らしげに深夜までオフィスに残り、あるいは飲み歩いていた。「俺たちが日本経済を回している」と当時のサラリーマンたちは本気で思っていたと思う。その一方で、欲望とか強欲とか、そんな言葉が人の形になったような脂ぎったおじさんたちを、当時二十歳前後の若者たちは生理的に嫌悪していた。こんな大人にはなりたくないと心の底から思っていた。「ノルウェイの森」はそんな時代に書店に並び、救いを求めるかのように若者たちは飛びついた。ジャズやクラシックが流れる喫茶店の暗い店内に身体を沈め、深く淹れた一杯の珈琲を時間をかけて飲みながら、ノルウェイの森の中に自分たちの居場所を見つけようとしていた。今、読み返してみると、村上春樹さんの文章の美しさには改めて目を見張る。全編にわたってときおり出てくる性的な描写は、十分に具体的でありながらいやらしさはなく、その表現はひたすら美しい。セックスという行為よりも、セックスを通じた心の交わりが文章から浮かび上がってくる。主人公のワタナベは、学生運動が盛り上がっていた1960年代後半に、革命を叫ぶ学生たちに反発するでもなく、静かに距離を置いていた。淡々と仲間と接し、彼女と接し、生を見つめ、死を見つめ、自分を見つめる。イケメンではないらしいけど、彼の物静かで思慮深いもの言いは女性たちを惹きつけた。そして、バブル景気に踊らされている大人たちとの距離を求める1980年代後半の学生たちの心も思い切り惹きつけた。今の二十歳前後の人たちは、この小説をどう読むのだろう。もしかすると、今の彼らの生き方がワタナベの生き方に一番近いのかもしれない。時代が村上春樹にようやく追いついた。きっとそういうことなのだろう。