仙台の旧町名「元鍛冶町」(一般的には元鍛冶丁。今の青葉区国分町二丁目ほか)
元鍛冶町(もとかじまち)仙台三越の南側の道路を西(仙台城址方向)に少し歩くと、かつての元鍛冶町がある。昭和45年2月1日の住居表示前の町名は「元鍛冶町」(もとかじまち)となっているが、地元では「元鍛冶丁」(もとかじちょう)と呼ばれていたようで、公園の名前も元鍛冶丁公園になっていた。かつての「元鍛冶町」は今、青葉区国分町二丁目と立町のそれぞれ一部になっている。町名の由来は…伊達政宗が仙台に城下町を建設する際、この場所に鍛冶職衆を配置し「鍛冶町」とした。しかし程なく、鍛冶職衆は南鍛冶町と北鍛冶町に移され、鍛冶町は侍屋敷の町に変わった、ということらしい。(参考:仙台市HP「道路の通称として活用する歴史的町名の由来」)鍛冶職衆がいなくなった鍛冶町は「元」鍛治町となり、その際「町」の文字も、武士の町を示す「丁」になったのではないか、と勝手に推察してみた。だから、一般に使われている「元鍛冶丁」が藩政時代の町名としては正しいのだろうと個人的には思っているが、そうなると住居表示前の町名が「元鍛冶町」だった理由がわからなくなる。もしかすると「町」と「丁」の区別は、ある時期から余り意識されなくなっていたのかもしれない。ドン・キホーテの北東角に《元鍛冶丁》通りの標柱が建っていた。元鍛冶町は今の町割りでは赤線で示したこの辺り。