カテゴリ:東京の記憶
皇居の大手門のすぐ近くに建つ大手町パークビルディング(千代田区大手町1丁目1-1)脇の舗道に「旧内務省跡」と書かれた千代田区の案内板があリました。
内務省とは、ざっくり言って、今の総務省だと思います。 江戸時代には譜代大名、播磨姫路藩主 酒井家の屋敷があったこの場所に、明治6年(1873)から昭和8年(1933)まで内務省が置かれていたとのこと。 大手町のすぐ隣、丸の内一帯が三菱社に払い下げられたのが明治23年(1890)。それ以前の丸の内は、陸軍が所有する事実上の荒地だったそうなので、三菱社が丸の内の開発に着手するまでの約20年間、内務省の人たちは広大な荒地を横目に仕事をしていたものと思われます。 案内板の地図を見ると、まだまだ空き地が目立つ中にも、洋風の建物が建ち始めた明治30年代の丸の内の様子が描かれていました。(赤い丸が旧内務省跡) 〔明治30年代の大手町周辺「東京一目新図」武部瀧三郎、1897年、千代田区教育委員会蔵〕(部分) 今はビジネス街として一体感のある丸の内と大手町。当時は堀を挟んで大手町が官庁街、丸の内は空き地。それが官庁街と洋風のオフィス街の対比に変わったのはもう少し後。全体がビジネス街に変わったのは更にずっと後のことのようです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
March 23, 2024 12:00:20 AM
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