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July 13, 2024
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カテゴリ:東京の記憶


表参道駅の近くから始まる「高樹町通り」。「骨董通り」とも呼ばれているこの通りを歩いた。路面電車(都電)が1967年(昭和42年)まで走っていたそうで、道幅は割と広い。



表参道駅側からこの通りに入り西麻布側まで歩くと、突き当りの交差点の名前も「高樹町」となっていた。今の南青山6丁目あたりが昔の「赤坂青山高樹町」だったようだ。



ここからは、母から聞いた話になる。裏取りは後回しにして取りあえず聞いたことを書き残そうと思う。

母いわく…
高樹町は、この町が「高木さま」というお殿様の町だったことの名残り。
母の父(僕の祖父)は戦中、徴兵されるまで高木家のお屋敷で執事として働いていた。祖父の家は先祖代々、高木家にお仕えしていたらしい。
高木邸は、三笠宮妃百合子様のご実家で、百合子様のお父様は高木正得(まさなり)子爵。
高木家の敷地は広く、祖父がお仕えしていた頃は、そこから得る家賃収入も経済的な支えになっていたと聞いたことがある。
祖父の家は高木邸に近い笄町(こうがいちょう。今の港区西麻布)にあり、母はそこで生まれた。

母の話は概ねこのような内容だった。

今回、この話をたどるつもりで「高樹町通り(骨董通り)」を歩いてみたが、通りの雰囲気は「南青山」以外の何物でもなく、母の話を思わせるものは見つからなかった。
ただ、通りを一本入った根津美術館周辺には少し谷のように下がっているエリアがあって、そこには当時の面影と言っても良いような雰囲気が漂っていた。



都内を歩いていると、幹線道路から1本横に入っただけで、懐かしい空気感に溢れる場所に入り込むことがかなり頻繁にある。東京という都市の奥深さを感じた気分になれて、いつもながら心地良かった。






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Last updated  July 13, 2024 05:24:01 AM
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