カテゴリ:仙台の歴史
仙台の昔の町名「本材木町(もとざいもくちょう)」は、昭和45年2月1日の住居表示で「立町」の一部になっている。
そして、かつての本材木町の道筋は、今の立町の真ん中を南北に貫いている。 本材木町と本櫓丁が交差していた場所には辻標50番「本材木町/本櫓丁」が立っていた。 辻標のパンフレットは、町の読み方を《もとざいもくまち》としたうえで、この町を次のように解説している。 ・建築用材を集荷供給するため仙台開府当初に割り出され、材木町とも木町とも称した。 ・その後木材需要の拡大に伴い、北・南材木町ができたので本材木町と呼ばれた。 ・一部は侍屋敷となったが、なお、材木商・大工衆・指物師が多く住んだ。 ・明治以降は国道西裏の商店街として栄えてきた。 この通りには、辻標だけではなく「《本材木町》通り」と記した標柱も建っていた。仙台市HP「道路の通称として活用する歴史的町名の由来」は、この町を次のように説明している。 ・慶長年間(1596−1615)に成立し、程なく北材木町を分出。 ・城下町建設のための材木市がおかれ、材木商人が居住したことに由来する。 今の町割りに当てはめると、立町のど真ん中、赤線の通りがかつての本材木町にあたる。 この通りを歩いてみると、残念ながら材木町の名残りらしきものは見つけられなかったけど、町人の町らしい、間口が狭くて奥行きのある土地の形は目にすることができた。 こんな風に通りに面する部分は狭くて、奥に長い民家。 藩政時代は土地の面積ではなく、通りに面する土地の幅で税金の多寡が決まっていた、と聞いたことがあり、だから町人や商人の町には、間口の狭い家が多かったらしい。 広瀬通と定禅寺通の間にあるかつての本材木町には今、たくさんのマンションが立ち並んでいて、その中にポツポツと古い民家があり、おしゃれな雰囲気のベーカリーなど新しいお店もいくつかある、そんな通りだった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
October 4, 2024 12:00:25 AM
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