人が変わると組織が変わる-非人格者が去った変化
「私はあなたのベビーシッターじゃないのよ!」■ ANAおばちゃんがいた暗黒時代 シッピング(入・出荷担当)のANAおばちゃんと一緒に働いていたあの暗黒時代を思い出すとムカついてきた。ANAおばちゃんは「ドラえもんの体形をした経理のおばちゃん(彼女については2004.09.04, 2004.08.12, 2004.08.03の日記を参照ください)」の2ヶ月前にやめた。実はこのANAおばちゃん、ドラえもんの体形をした経理のおばちゃんよりタチが悪く、僕の天敵だった。毎日寝巻き姿で出社する姿とはうらはらに、朝のANAおばちゃんはライオンの寝起きより怖い。チーターのような彼女の鋭い目は相手のミスを見逃すことなく、すかさず怒鳴り込む。そして話し合おうとしても、聞く耳をもたない。「これは、あんたの仕事!」「なんでこの書類できていないの!」本当にうんざりするのだが、しまいには「あんたのベビーシッターじゃないのよ」まで言われてしまうしまつだ。気にしないようにするのだが、結構傷ついたりする。そんな時は一人でトイレに駆け込み泣いた(←実際には下痢。僕はどうやらストレスがたまると、お腹に表れる体質らしい)2004.08.12の日記では、「ドラえもんの体形をした経理のおばちゃんが辞めたによって、下痢が治ったと書いた」のだが、この下痢の完治にはANAおばちゃんが去ったことも非常に大きなファクターだった。人は自分以外の物事・他人に注目する傾向にある。他の物事や他人を気にする人ほど、自分の姿や行動を理解していないケースが多い。ANAおばちゃんはそのタイプだった。今までANAおばちゃんが登場しなかった理由として、素直に僕は彼女のことが嫌いだったからだ。彼女を思い出すだけで感情が噴出し、レベルの低い日記になることは予期できた。「ドラえもんの体形をした経理のおばちゃんはまだ笑えるが、ANAおばちゃんは笑えない。■ ANAおばちゃんが僕を嫌った理由会社の先輩から聞いた話だと、ANAおばちゃんが僕のことを嫌う理由はただひとつ。僕より高い給料をもらっていたからだ。どのように僕の給料を知ったのか分からないが、ANAおばちゃんとしては「自分より長く働いているのに、なんであいつより給料が低いのか!」みたいな感情があったと聞いた。まあ、ポジションのおうじて支払う価値を考えると、給料で文句を言われても僕はどうしようもないことなのだが。。。■ ANAおばちゃんのテキトー発注のツケあるとき「パーツを発注するとき発注数をどのように決めている」か聞いたことがある。そしたら、ANAおばちゃんは「感覚で発注量を決める(つまりテキトー)」と当たり前のように答えたことに驚いた。過去のデータ(販売数)をもとに年間で必要な個数などはある程度把握できるので、効率的な発注ができ無駄な在庫を持たなくてすむのだ。発注数のガイドラインができるから各パーツの販売履歴表を作るよう提案したら、「パーツの登録点数なんてんあると思っているの?そんなの不可能。」とあっさり拒否。結局はやらない(やりたくない)だけだったのだ。僕はこのパーツ販売実績表を2日で作ることができた。パーツ登録数は734件もあり面倒ではあるが、不可能ではない。ANAおばちゃんの姿勢の問題だ。これを作りおわってさらにANAおばちゃんのずさんな仕事ぶりが見つかった。パーツ在庫の1/4は過去2年の販売実績はなく不良在庫化されていた。販売実績のあるパーツでも、必要以上のパーツを発注していたことがわかった(たとえば、10年分のパーツを在庫)■ 暗黒時代が終わってこのキーとなるアメリカ人おばちゃん2人が去り、僕の暗黒時代は終わった。人が変わると会社も変わる。僕ものびのび仕事ができるようになり、会社にも劇的な変化が訪れた。何かと理由をつけパーツオーダーの発送を1日遅らせたりしたこともおわり、ある代理店は「パーツがすぐ出荷してもらえるようになったのでとても助かる」と喜んでいた。また奇跡的なことだが、20年間赤字を垂れ流していたこの会社が、最近は利益をあげるようになった。僕がANAおばちゃんの仕事を丸ごと引き継いだことによる経費削減効果といえる。■ 非人格者が組織にいるデメリットひとつの教訓として、ANAおばちゃんやドラえもんの体形をした経理のおばちゃんなどの非人格者が重要な役割にいると、組織は停滞する。彼女らは2004.11.19の日記に書いたような肩書きリーダーにちかい部類だ。自分の地位やポジションを重視するがために、自分の目的や役割を見失う。簡単に人を非難するのだが、聞くみみをもたず、変化を嫌う。よい方向に変えようというアイデアはけされ、現状維持を守る。今から考えるとひどい会社だった。まあ、結構彼女らにムカついたこともあるのだが、今となれば非常にいい経験ができた。人が変わると組織は変わるのだ。この暗黒と天国の変化を経験できたことは僕にとっては貴重な体験といえよう(←くどいけど、今となってはね。。。)