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テーマ:サッカーあれこれ(20071)
カテゴリ:ヴィッセル神戸
おいおいおい。黒田監督がヴィッセルの育成部長ですか!
>・2006/09/05 2007年より育成部長に滝川第二高 黒田和生氏就任決定 > >ヴィッセル神戸では、2007年より育成部長として >現滝川第二高校監督 黒田和生(くろだかずお/57歳)氏の就任が決定しましたのでお知らせいたします。 >なお、同氏は今シーズンをもって滝川第二高校を退職し、 >2007年4月1日付けでヴィッセル神戸育成部長に就任する予定です。 >また、現在の当クラブ育成部長は、和田昌裕強化部長の兼任となっています。 > >黒田和生(くろだ かずお/57歳) >■生年月日:1949年3月8日生まれ >■出身地:岡山県倉敷市 >■略歴: >1966年 岡山県立倉敷青陵高校卒業 >1971年 東京教育大学 体育学部卒業 >1971年~1984年 社団法人 神戸フットボールクラブ(コーチ、監督を歴任) >1984年~ 滝川学園 滝川第二高校 監督 > 全国高校総体(インターハイ) 17回出場(最高3位[1988年]) > 全国高校サッカー選手権大会 13回出場(最高3位[1999年、2002年、2003年] > 高円宮杯全日本ユース 5回(最高3位[2005年]) > >■資格:日本サッカー協会公認S級ライセンス(2000年) > >■黒田和生氏コメント: >「ヴィッセル神戸の地域に密着した育成・発掘型というコンセプトに賛同し、 >いいクラブになるよう微力ながら、参加していきたいと思います」 =ヴィッセル神戸公式サイトより= うおお。 安達社長やるなー! 詳しい経緯はヴィッセル神戸ケータイ公式サイトの「GM室より」にあるけど、 これも松田さんに続くクラブとしては『いい補強』だ。 旧ヴィッセルはトップチームの運営で一杯一杯で下部組織まで手が回っていなかった。 故に地元高校の有望選手はどんどんヴィッセル以外のJクラブに行っちゃってた。 99年2月に神戸新聞に5回連続の短期特集で 『5年目の転機 開幕へヴィッセル神戸』というのがあった。 それの第2回でこんな記事がある。 >(2)スカウト/県外流出続く有望選手 > > 身長169センチの「小さな大エース」がさっそうと髪をなびかせ、国立競技場のピッチを駆け回った。 > >全国高校サッカー選手権で旋風を巻き起こした滝川第二高の林丈統。 >スピードと決定力、プロ向きの勝ち気な性格と、ストライカーの資質をすべて備える。 >大会得点王となってチームの四強入りに貢献。 >一躍、全国区の顔となったが、注目の進路はヴィッセル神戸ではなく、ジェフ市原だった。 >「なぜ獲得できなかったのか」。神戸サポーターから疑問の声が噴出した。 > >このケースは今に始まったことではない。 >神戸はスカウト活動の出遅れから、地元の有望選手を数多く逃してきた。 > >「週一回は必ず電話をよこす他チームのスカウトに比べ、神戸は皆無に等しかった」。 >滝川第二高の黒田和生監督は首をかしげる。 >林獲得のため、市原のスカウトは早い段階から同校に足を運んでいたが、 >「ヴィッセルは来たことがなかった」(黒田監督)という。 >また、同校出身で五輪代表候補の加地亮(セレッソ大阪)が、 >高校時代に神戸の練習に参加し、バクスター元監督から「ぜひ獲得すべき選手」と >高い評価を受けた時には、すでにC大阪の交渉が先行していた。 > >市原時代の城彰二(横浜F・マリノス)、昨年の小野伸二(浦和レッズ)…。 >Jリーグでは高校出身ルーキーが即戦力となる傾向にある。 >「地域密着」を掲げる以上、地元の高校と太いパイプを築くことが戦力強化には不可欠だ。 >神戸はノドから手が出るほど欲しかった逸材が他チームに流出していく様を、 >指をくわえて見ているだけだった。 > >危機感を持った神戸は、ようやく重い腰を上げた。 >昨年までのスカウトは一人で、コーチも兼任していたが、今季からさらに専門職を新設。 >二人体制で臨むことになった。 >さらに、新たに組織した神戸U―21チームに地元高校生が参加できるようにし、 >指導方針を肌で感じてもらう予定だ。 > >「神戸は閉鎖的で方針が見えないという声にこたえた。 >希望があればプロのコーチを各高校に巡回させる」と、担当の長谷川治久・統括部長は意欲的。 >二〇〇二年ワールドカップ日韓共催を三年後に控え、長期的な戦力の立て直し策を懸命に摸索している。 > >地元の期待にそえず、失うばかりだった信頼は回復するのか。 >「ポスト永島」となりえる選手の獲得は実現するのか。二〇〇二年に向けた選手獲得競争はもう始まっている。 とゆーワケですな。 カネがなければ知恵を絞って、地元高校とのパイプを太くして有望選手を獲得するという 手法すら出来なかった旧ヴィッセル(;´Д`) とりあえず、トップチームが強くなって観客が増えて、スポンサーもたくさんつけば 今まで整備が足りなかった部分(下部組織やクラブハウス)に手をつけていこう、 というのが旧ヴィッセル歴代の首脳陣の考え方だった。 まあ、その思惑は多額の累積債務と共に実現しなかったワケだが・・・(汗) 今年からスタートした「ヴィッセル神戸U-21チーム」は、99年にも立ち上げていた。 いたけど、このU-21チームは99年の1年でなくなってしまう。 なんで無くなったかは知らないけど、いつの間にか無くなった感じ(汗) というか、当時でもU-21チームがあった事自体あまり知られてなかったはず。 「安達構想」が着々と進んでますな(^ー^) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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