地震 23年前を思い出す
今日はたまたま大阪肥後橋の本社事務所での会議JRで大阪へ。 新快速が3分遅れで大阪駅に着いたのが7時55分。西梅田への階段を降り始めたところで・・・。 ん?目まいか? 揺れてる? と思った瞬間「ドーン」という突き上げるような衝撃と共に大きな揺れがありました。地震だと実感しましたが、阪神淡路大震災の経験上、「わ,直下だ、南海トラフじゃない」とでも直下だからヤバいとも思いましたが、揺れの周期が短かったので、それほど緊張はしませんでした。周りの建物とかも崩れるような大被害もないようで、大勢の通勤人達も冷静で、揺れがおさまってからは何事もなかったように出勤先に向かうようでした。結果的に大阪の交通機関はマヒ。 そして多くの方々に人的被害がでたようです。被害にあわれた方々、亡くなれた方々、怪我をされた方々、その他、被災された方々に対しまして、心よりお見舞い申し上げます。私自身、23年前の被災者ですが、決して忘れることのできない辛い体験でした。命からがら逃げてゆく過程で、芦屋から西宮への途中、未だ助けを待つ方々のいる瓦礫の山を横目で見ながら高圧線の垂れ下がる道を幼い子供を気遣いながら歩き続けました。ようやく乗れた西宮北口初の阪急電車。 神崎川の駅前でパチンコ屋さんがいつものように営業されていて、大阪駅ではスキー、スノボの板を抱えた若者たちが笑顔で・・・。いや、その方たちを非難する気はありません、が、どうなんでしょう?という違和感がムラムラというのが正直でした。今日は、23年前に比べると、比較的被害が限定的だった(大打撃を受けられた方々が多いのは承知ですが、あくまでも客観的比較として)のと交通(鉄道)マヒで人が少なかったのか? 極めて冷静だったと思います。ま、普通なら新快速で15分の大阪-芦屋間を7時間かかりました、 私自身への被害は、せいぜい、それくらいで済んだということで。