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私が通う小教区の教会では、 告解の時間も週に1回 土曜日だけ、 しかも30分という時間しか設けられていない。
というわけで昨日の土曜日の午後、 子連れで告解に行ってきた。 主題はもちろん 離婚について。 私自身ができれば 結婚を継続して、と思うのに反して、教会の側が むしろ離婚を勧めている。ただしこれはあくまで Abuse (虐待)のケースにおいて。カトリック教会といえどもこの場合、結婚の秘跡を取り消して信仰上の婚姻無効を言い渡すことができる。 私はその事実を 随分前から知っている。 個人的にはそれでも、問題の多い夫に向き合って 解決したいと思う自分がいる。 ただ子供たちは。 あなたは彼らを守らないといけない、父親の暴力から。 ちょっとしたことでカッとなる夫が、こんなたわいのないことさ、と子供たちに手を挙げることは見逃せない。 夫はある意味、粗暴な父親の犠牲者の一人だったともいえる。 父親が母親を捨てる形で起こした離婚の際、母親が言った言葉に傷ついたという。 おまえは 孤児になったのよ。 だけど、かつての"かわいそうな”夫が 今私たちを傷つける。 孤児じゃないよ。あなたが この家族の長でしょう。みんなあなたを必要としてるよ。 あの時 こう言って、トラウマを抱える彼を励ました。 決して彼を捨ててはいけないと自分に言い聞かせながら。 でも、心に痛い傷を負ったはずの夫は そんなことも忘れて 意地の悪い物言いで返答したり、無視したり。 夫婦は一体である、とイエズスは教える。 自分の体を切り捨てることができるでしょうか。そんな主の問いかけに、いえ、身体の一部が壊疽を起こしている以外には。そんな答えがあった。 夫婦の関係が、壊疽を起こすほどに膿むのですか。主は そう問い直す。 と、これは私の大好きな マリア・ワルトルタの著作に出ていた一箇所。 夫が改心してくれたら いいのに。 彼がそう望みさえすれば、イエズスが癩病者を清めたように 彼自身が清められるのに。 怒りに巻き取られて 自身の霊魂を傷つけていることを、彼は知らない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006.03.20 03:25:17
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